珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

書かれる阿呆に書く阿呆についての覚書|己の思考と喧嘩していけ

書かないと思考が便秘するタイプ

これといって特別思索することがないような日は、わざわざはてなブログの編集画面なんか開かなくても、帰宅してすぐ顔洗って洗濯して屁こいて寝ればそれで済むのだが。頭の中の日記帳に「きょうはなんにもかくことがないすばらしい一日だった」と書き込んでおけばそれで無事に1日が終わるのだ。これといって特別思索することがないような日に、これといって何も思索しなかったから、これといって何も書かなかった。そういう日には決まって、私の中の書かれたがり屋ども、形にされなかった小さな思考の断片どもが、好き勝手に大暴れする。イテテ。イテテ。勘弁してくれ、お前たちごときじゃ1本の記事どころかたった1つの文章にさえなれやしないんだ。それに私は今めちゃくちゃ眠いんだから、お前たちごときに構ってる時間なんかあるもんか。イテテ。悔しかったらお前たちの方こそ、文章にされる努力をしてみたらどうなんだ。お前たちはいつもこちらが筆を執る前にサッサと消えちまうじゃないか。やいやい蜃気楼の倅、影法師の娘、取るに足らない走馬灯の赤子ども、己のことを文章にしてほしいと思うんなら、文章にされる努力をしろ!

 

「ねこ」は常に頭の中にあるけど「『ねこ』について書くに値すること」が頭の中になんにもないんだ

「書くことがない」とは概して「書くに値することが頭の中にない」「書くに耐えうるものが頭の中にない」「書いてお見せ出来るようなものが頭の中にない」の謂いであって、「頭の中になんにもない」とイコールであるとは限らないのである。人間の頭はそうそう空っぽにはならないと思う。私は脳や心のお医者さんではないので「頭が空っぽ」とはそもそもどんな状態を指すのか知りもしないけど。でも例えば途轍もない難問を投げかけられて「マジでなんにも思い浮かばない」と思っているときは、少なくとも頭の中に「マジでなんにも思い浮かばない」はあるのであって、人が「すみませんマジでなんにも思い浮かびません」と口に出して言えるのも、頭の中に「マジでなんにも思い浮かばない」があるお陰なのだ。何言ってんだ?いやしかし、文章を書くことは途轍もない難問に答えることより遥かに容易であろうから、「マジでなんにも思い浮かばない」の他に、何かひとつやふたつくらい頭の中にあってもいいと思われるのである。だから是が非でも何かを書こうと思うならば、このひとつやふたつを拾い上げて無理やり文章にすればいいし、最悪、「マジでなんにも思い浮かばない」の方を拾って文章にすればいい。そんなわけで、ネタに困ったときは「マジでなんにも思い浮かばない」をネタにして文章を書く、ということを懲りずに繰り返しているのがこのブログであります。

 

「書けそうな話題」は捕まえたけど「本文」が一向に捕まらない時のアレについて

ところで厄介なのは、頭の中にあるこのひとつやふたつが、大変な書かれたがりのくせして一切そこに留まっていることがない点である。このひとつやふたつは頭の中をトンボのように飛び回って、我々が持つ「『これこれ』について書きたい」という欲求の網に偶然引っかかるまで縦横無尽に駆け巡り、体力がゼロになるまでに網に触れられなければそのまま死ぬ。この場合の『これこれ』は具体的な何かではなく単純に『これこれ』を表しています。「書くこと」(=ネタ)を必死に考えている時の、全く共通点のない様々な単語や画像、音や香りまでもが頭の中にポンポンと浮かんでは沈み浮かんでは沈みしている、あの気持ち悪さったらないね。頭抱えてウンウン唸っている時にたまたま「仕事」という単語が浮かんできたとしたら、「仕事」は我々に書いて欲しいと思いながらも、一切静止せずに走り続けていて、それ故に我々は「仕事」を掴むことも出来ないし、「仕事」の側も我々に何かを提供しようという積極性を微塵も見せないまま、いつか体力が尽きて地面に落下する。あー、ウン。今日は「仕事」で何かを書くことはひとまず無理そう。そうやって「仕事」は屍の山のてっぺんに積まれるが、ただちに蘇生する。

 

つまりどういうことだってばよ

私の思考はもっと私に書かれる努力をして円滑なブログ運営に協力しろ

 

 

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