珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

有り余らない才能についての覚書|己の平凡さに感謝出来る程度には歳をとった

有っても困るし無くても困るもの

私はこれまでのところ、才能について困ったことがない。これが果たして幸せなことなのかは分からないが、少なくとも「模範的な凡人」としてはよく務めを果たしていると思う。才能の無さ故に困ったことがない――というのは、私が万能の天才だからなどでは勿論なくて、人生において特別な才能を必要とするような場面に出くわしたことがないからだ。多分。私が記憶している限りでは。そして言わずもがな、才能の有るが故に困ったこともないのである。これに関しては、記憶を掘り起こす必要もないだろう。有って困るような才能を持っていたならば、恐らく私は今ここでこんな生活をしていない。現在の私という存在が、事実の全てを証明してくれる。

 

本来比較対象でないもの同士を比較するなってアリストテレスも言ってる

持てる者の苦しみと持たざる者の苦しみ論争は定期的に見かけるが、あのように「100グラムと10センチはどちらが優れているか」の如き不毛な争いに精を出す人々のことは放っておこう。今は、持てるものの苦しみも持たざる者の苦しみも平等に分からない、無垢で無邪気で無慈悲な人種のこと、すなわち模範的な凡人たる我々自身のことを考えよう。我々は平気でこんなことを言う。「持ってるなら大いに使えばいいし、持ってないならどこかから取り寄せるか、もしくは諦めることだ」と。持てる者がその輝かしい玉座の上でもがき苦しみ、持たざる者がそのみすぼらしい寝床の上でのたうち回っている頃、我々模範的な凡人は、可もなく不可もないごく一般的なパイプ椅子に腰掛けて、悠々足を組んで彼らを眺めている。我々は才有る故に苦しむ人々の方を向き、彼らがあまりにも重すぎる荷物を背負っているのを見て憐れみを手向ける。また、我々は才無き故に苦しむ人々の方を向き、彼らがあまりにも荷物を持っていないのを見て同情を捧げる。この憐れみや同情は、彼らの苦しみに対してではない。我々は彼らの苦しみが分からない。我々は無垢で無邪気で無慈悲ゆえに――彼らは背の荷を降ろしたり足元の荷を抱えたりすることを知らない、己に腕があり手があることさえも知らない、あたかも己を蛇か何かだと思い込んでいる人々なのだと――そう思い、使おうと思えば使える両手を彼らが一切使わぬ様を見て、悲しみとしているのである。

 

ね、簡単でしょ?

無垢で無邪気で無慈悲な我々から彼らに贈る助言は、間違いなく彼らを激昂させるであろう。けれども私は、勇気を持って数々の言葉を贈ろうと思う。まず、持てる者に対して贈る言葉。あなたが本当に本当に、持てる故に苦しんでいるのなら、あなたよりずっとずっと優れている者たちの住処に行って、そこで凡人になりなさい。世界は広いから、あなたよりずっとずっと優れている人たちは大勢いる。そこに自ら飛び込んでいって、そこで落ちこぼれになりなさい。さすればあなたの苦しみは幾分か軽くなるでしょう。次に、持たざる者に対して贈る言葉。あなたが本当に本当に、持たざる故に苦しんでいるのなら、あなたよりずっとずっと劣っている人たちの住処に行って、そこで天才になりなさい。世界は広いから、あなたよりずっとずっと劣っている人たちは大勢いる。そこに自ら飛び込んでいって、そこで頂点に立ちなさい。さすればあなたの苦しみは幾分か軽くなるでしょう。我々が彼らに贈ることが出来るのは、これくらいである。一応前置きはしたので、あまり怒らないでほしい。我々は特別才に満ちているわけではないので、これ以上に気の利いた言葉は紡げそうにない。また、我々は特別才に欠けているわけでもないので、これ以上におバカで価値のない言葉は織れそうにない。許しておくれ。

 

パイプ椅子の勝者

我々模範的な凡人は、ある時は才有る者に賞賛を向けて己の凡庸さを卑下し、ある時は才無き者に励ましを向けて己の平俗っぷりを笑い飛ばしながらも、実際には遥か高みから、冷え切った眼差しでもって、彼らの葛藤を眺めている。ひとりの人間の立派な生き様という尺度で測られたならば、我々は間違いなく負け組であろう。我々は刃こぼれひとつない刀である。守り傷ひとつない兜である。遂には戦に出ることなく武器庫でその生涯を終えたあるひとつの道具である。誉れを受けることもないだろう。しかしひとりの人間の安全な生き様という尺度で測られたなら、我々は間違いなく勝ち組である。攻め傷もなく、受け傷もない。恐らく後世において、とある古い民家の蔵からひょっこり出てきて、なんでも鑑定団に出品されて、驚くべき状態の良さと評価され、莫大な金額をつけられることだろう。私は武人を支えて傷ついた立派な武器として、この世で誉れを受けようとは思わない。その代わり、平凡、安寧、無難、そういったものをどこまでも追求して、それらが評価されるようなどこかの世において、己の価値にゼロをいっぱいつけてもらおうと思う。

 

辞世の句

ゼロの花

ゼロだけあっても

ゼロはゼロ

 

 

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