珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

簡単なものの無限乗についての覚書|出来ないことに殺されるんじゃない、出来ることに殺されるんだ

ヘーキヘーキ大丈夫だってこんなのかんたんかんたんかんたんかんたんかんたんたんたかたん

人は、簡単なものを無数に混ぜ合わせた混合物を、なおも「簡単なもの」の名で呼ぶ。そしてこの「簡単なもの」の名に騙されて、多くの人々が混合物の中に飛び込んでいく。やがて彼らは希釈される。「簡単なもの」の中の簡単なものどもが彼らの身体の中に満ち満ちて、彼らは簡単なものどもから揉みくちゃにされる。それをひと掬いしてみると、なるほど簡単である。取るに足らぬ物事である。屁をこきながらでもあくびをしながらでも成し遂げられそうな物事である。しかしそれらは、掬っても掬っても溢れることをやめない。彼らの身体は簡単なものにまみれる。彼らが限りを知らない簡単なものどもに絶望しかけたとき、「簡単なもの」が彼らに囁きかける。――ほらね、簡単でしょう?

 

普段はアラームをかけても起きられないくせして先日アラームをかけ忘れたのにきちんと起きられたので人間はすごい

人間に関係する様々な出来事は、簡単なものの組み合わせで出来ている。例えば「朝起きる」とは、アラームを聞くこと。目を開けること。腕を動かすこと。布団をめくること。上体を起こすこと。下半身を動かすこと。その場から離れること。もっと細かく分けることも可能だが、ひとまずこのくらいにしておこう。無論、個々人の身体や気持ちの具合にもよるので一概に全てが簡単なものとは言えないが、全方位に配慮し始めると際限がないので、この場ではこれらひとつひとつを簡単なものに分類することをお許し頂きたい。とりあえず「朝起きる」ためには、概ねこれらをひとつずつこなしていけばよいのである。しかしながらこの「朝起きる」という混合物の難しさったらない。いくらポンコツの私でも、 ただ・・ アラームを聞くことくらい簡単だし、 ただ・・ 目を開けることくらい朝飯前。一方でこれらの融合体である「朝起きる」は……ウン。私にとって、 ただ・・ アラームを聞くことは簡単なのだ。まず、アラームが鳴るでしょう?それを耳に入れるでしょう?「アラームが鳴っているなあ」という認識に至るでしょう?それだけでいいのだ。目を開けることだって、瞼を持ち上げさえすればいいのだ。にも関わらず、どうしてこう毎日毎日、5回も6回も「アラームが鳴っているなあ」を繰り返した挙句に、「ア゛ア゛ア゛ア゛ラ゛ー゛ム゛が゛鳴゛っ゛て゛い゛る゛な゛あ゛」で飛び起きねばならぬのか?「瞼゛を゛持゛ち゛上゛げ゛な゛き゛ゃ゛な゛あ゛」で飛び起きねばならぬのか?

 

労働とは、手足をぱたぱた動かしたり、「あ」という音を出したり、2たす3をしたりすること

まあこんな具合で、あらゆる動作も分解出来るところまで分解すれば、ごく簡単なものに行き着く。デスクワークだって、分解しようと思えば「ペンを握る」辺りまで分解出来るし、莫大な数字を扱うにしてもそれらを分解すれば「1桁同士の足し算」まで分解出来るし、接客業にしたって「声を出す」とか「まっすぐ立つ」なんてレベルにまで分解出来るのだ。勿論、もっともっと分解することだって可能である。これら簡単なものの組み合わせにどこまで耐えられるか。これは何も人間だけに限った事ではないだろうが、生きるという行為は、大体こんな感じである。息を吸うこと。簡単。息を吐くこと。簡単。もういちど息を吸って、吐くこと。まだ簡単。1秒生存すること。簡単。10秒生存すること。簡単。100秒生存すること。多分、まだ簡単。果たして私はあと何回の呼吸に対して「簡単」と言っていられるだろうか。私はあと何秒の生存に対して「簡単」と言っていられるだろうか。31536000秒の生存にも、「簡単」と言っていられるだろうか?その時間の中にも無数の簡単なものがあり、簡単なものが無数に混ぜ合わさっていて、それらは結晶して食事となり、睡眠となり、労働となり、休息となるわけだが、私はこれら簡単なものの混合物に、どこまで簡単の烙印を押すことが出来るだろうか?

 

増えたのは簡単なものだけ

そういえば、今でこそ当たり前の存在になったコンビニのコーヒーマシン、あれが初めて導入されたのは、私が大学生の頃であった。当時セブンでバイトをしていた。多分セブンが最初だったんじゃないかな。それで、ご立派なコーヒーマシンが入口付近にドンと構えることとなった。来る客来る客に「コーヒーのいい香りがするねえ」と言われた。最初のうちは諸々の手入れが大変だったが、慣れればなんてことはなかった。定期的にコーヒーカスを捨てたり、ペーパーを交換したり、豆を補充するだけだ。洗うのは深夜の人がやった。こうして、私たちの仕事に簡単なものが1つ増えた。それからしばらくして、今となっては懐かしいレジ横ドーナツの販売も開始された。当時は「コンビニドーナツでミスドがヤバイ」などと言われていたが、結局アレは早々に姿を消し、現在は普通のパンみたいに個包装入りで売られる形に落ち着いた。ミスドはよかったね。そんなアレも、ドーナツを冷蔵庫から取り出して、袋から出して什器に並べる、ただそれだけであった。こうして、私たちの仕事に簡単なものが1つ増えた。

 

簡単なものなんかに絶対に負けない

イヤハヤ全く、人は簡単なものを増やすのが得意なことよなあ。簡単なものを増やして、増やして、増やして、……とにかく増やすことが好きなのだ。難しいものを増やすと大変だろうからと、頭のいい人たちが知恵を絞って絞って、頭の悪い我々のために、難しいものではなく、簡単なものを作っていく。簡単なものはそうやって、人の熱意と、良心によって、無数に増えていく。あの時、少なくともうちのバイト先に「コーヒーマシンのメンテが難しいので辞めます」とか「レジ横ドーナツの面倒を見きれないので退職します」なんて人は1人もいなかった。あの場の全員、新しくやってきた簡単なものに耐え切ったのだ。そうやって、みんなみんな耐えていく。簡単なものに。とりわけコンビニはそういうのを増やしていくのが好きなので、全国のコンビニ店員の皆さんは、これから襲い来る様々な簡単なものに耐えながら働くのだろう。一方で、それらに耐え切れなくなった人々がひっそりと姿を消していくのだろう。もちろん、コンビニ以外のありとあらゆる場所においても。検品、簡単。品出し、簡単。レジ打ち、まあまあ簡単。フライヤー、簡単。おでん、簡単。コーヒーマシン、簡単。床掃除にトイレ掃除、簡単簡単。簡単なものを、お任せします。そう、とっても簡単なお仕事です。日々簡単なものと戦っている労働者の皆さん、労働者じゃない皆さんも、簡単なものなんかに負けず明日も1日頑張りましょう。

 

 

f:id:shirokuro_044:20210127124847p:plain