珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

万物が流転したりしなかったりするかもしれない覚書|我が物顔で「万物」を取り扱おうとする人間はいったいなんなんだ

万物は流転する 知らんけど

R.S.ブラックのプラトン入門』を読んでいる。やはり古代ギリシアはいいものだなあ。むかし、かのヘラクレイトスは「万物は流転する」と言い、プラトンはそれに否を突きつけたわけであるが、まあ、少なくとも人の手に乗りうるものは流転するんじゃないかなと思う。無論、「人の手の上に乗りうる」とは手のひらサイズという意味ではなく、「人が手懐けられる」という意味だ。それが目に見えるものであるかどうかも関係ない。山も、川も、規格外のものを除けば最早従順な飼い犬である。彼らは人に対してめっぽう強いが人の手にはめっぽう弱い。ポケモンで言うところのゴーストタイプ、FGOで言うところのバーサーカーのようなものだ。一度人の手に乗ったが最後、それらは直ちに膨張する。収縮する。融解する。凝固する。好き放題こね回された挙句、崩壊する。塵芥と化す。触れるものみな流転させてきた。それに比べれば、人の手に乗らないものの、なんと頑なで、見事なことよ。いや実際には頑なでもなんでもないのだが、それらの移り変わりを感じるには、人の生は短すぎる。……え?天気?天気は人の手に乗らないけどコロコロ変わるだろって?星も人の手に乗らないけど動くだろって?えーと、天気や星はアレだ、滅びに向かわない運動だから。ノーカン。私が流転と言ってるのはいずれ滅びに向かう運動であって……え?星はわりとあちこちで滅びてるって?じゃあ、こうしよう。万物は、それが人の手の上に乗りうる限り、もしくはそれ以外において、流転したり、しなかったりする。ウム。びっくりするくらいふわふわしているが、そういうことにしておこう。

(ここまで昨日の朝書いた記事)

 

うん

あれ?

 

万物は人間のおもちゃじゃないんだよ

いやいやいやいや待て待て待て待て。昨日の朝の私は一体何を言っとるんだ?「万物は、それが人の手に上に乗りうる限り、もしくはそれ以外において、流転したり、しなかったりする(ふわふわ)」だって?んなわけあるか!「万物は、それが人の手の上に乗りうる限りにおいて、流転しない」だ!人の手は、流転なんて美しい運動を生み出したりしない。人の手が生み出すものは、その場から身動き一つ取れなくなるか、壁に向かってひたすら無意味な突進を繰り返すか、さもなくば見せかけばかりで何も変わらない堂々巡りのこん畜生だ!流転。移り変わってやむことがないこと。デジタル大辞泉より。人の手が何かに触れたが最後、移り変わる前に止んじまう。もしくは 病んじまう・・・・・ かだ!触れるものみな滅ぼしてきた。人が何かに対して立派に移り変わっていると思っているときは、己がベルトコンベアーに乗って逆向きに運ばれていることに全く気づいていないときだ。何も移り変わっちゃいない。ただお前だけが逆向きに流れている。そうやって逆向きに運ばれて運ばれて……また入口まで戻ってくる。回転寿司かよ。そう、我々は逆向きの回転寿司である。回転寿司屋の席に座っている客は神々である。神々は我々がレーンの上をぐるぐる循環して何度も何度も彼らの前に現れるのを見てうんざりしている。「またこのネタが流れてきた!もううんざりだ!我々はもっと美味で新鮮なネタを食べたいのだ!このネタはいったい 何千年前から・・・・・・ 同じレーンの上を流れている?店長を出せ!」

 

まあ実際のところは

万物の中でただ時間だけが動いてるんだよねきっと

 

話は変わりますが(私が話を変えるのではなく)

自然界においては、雨が降り、川が流れ、海に注ぎ、水が空に昇って、雲になり、また雨が降り……ぐるぐる巡る。こうやって水がぐるぐる巡ることは、地球にとってまごうことなき一大事である。では一滴の水が降り、流れ、注ぎ、昇り、雲になってまた降ることといえば、ねえ……別に、フーンって感じ。たった一滴の水が上に行ったり下に行ったりしたからといって、それが何だというのだろう。人に関してだって、「人類」が上に行ったり下に行ったりすることは地球にとっては重大事であるけれども、たったひとりの人間が上に行ったり下に行ったりしたからといって……だから何だというのかしら。ねえ地球さん。

 

何かを得なくても許される世の中であってほしい

大して意味のない一滴の水、大して意味のない一人の人。どちらも大した意味がないという点で同じであるのなら、私は一滴の水になりたい。一滴の水として生きたい。一滴の水の方がよっぽど幸せに生きていると思う。一滴の水の幸せ、それは意味を見いだせないほどちっぽけな働きに対して無理やり意味を見出さなくて済むことだ。「ハイ一滴の水さん、あなたはこれまでの水生で上に行ったり下に行ったりした経験から、一体何を得ましたか?」なんて聞かれなくても済むことだ。仮にそんなことを聞かれたとしても、「何を得たって言われても、私はただ上に行ったり下に行ったりしただけですよ」と答えればそれで済むことだ。いやあ一滴の水さん、ほんとそれですよ。私だって長いこと人間してますけどねえ、ただ上に行ったり下に行ったり、息を吸ったり吐いたり、立ったり座ったりしてるだけですもの。それから何を得たって言われても、ほとほと困りますのよ。

 

 

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