「楽しい」という楽しくない迷宮についての覚書|こういうことは頭で考え始めた時点で負け
うごご
時々、「私から見てもほかの人から見ても、おおよそ楽しいと思えるものを仕上げたい」と意気込んでキーボードを叩くのだが、ウーン、おおよそ楽しいものとは難しい。抽象的なことを考えるのは大変に好きであるからして、おおよそなものを書くことは得意なのだけども。自己満足こそが原動力となるこのようなコンテンツにおいて、人を喜ばそうなどと考えだすとロクなことにならないことは重々承知なのだが、日頃後ろ向きなことばかり書いている私にだって、たまには楽しいものを作りたいという願望くらいはあるのだ。楽しいもの、楽しめるもの、時間が経ってもなお楽しむに値するものを。普段は出来る限り楽しんで書きたい 、でも時々は 書いたものを楽しみたい 。「自分が楽しんで書くこと」と「自分が書いたものを楽しむこと」は、「フランスワイン」と「フランスで売ってるワイン」くらい違うんだ。フランスワインがフランスで売ってるワインとは限らないし、フランスで売ってるワインがフランスワインとも限らないのだ。それにアレだ、私が書いて他人が楽しめるのなら、私自身も楽しめるに決まってるだろ!いい加減にしろ!ええい、私にとっての楽しいものとは、他人にとっての楽しいものとは、そしてそもそも「楽しい」とは一体……
対戦カードゲームのひとり遊びというのもそれなりにオツなんだ
ハグロは激怒した。なんやかんや。ハグロには「楽しい」が分からぬ。ハグロは、村のフリーターである。 膾 を吹き、睡魔と遊んで暮らしてきた。けれども他人の「楽しい」に対しては、人一倍に敏感であった。このハグロという村のフリーター、自分の「楽しい」はてんで分からぬが、他人の「楽しい」に関してはやたらと明敏になるのである。この場合における他人の「楽しい」というのは、単純に「他人が楽しそうにしているさま」という意味もあるし、「自分の行いが他人にとって楽しくあるかどうか」という意味もある。昨晩コンビニに寄ったらヤンキーが3人たむろしていた。ウゲッヤンキーだあ……と自然距離を取っていたのだが、嫌でも聞こえてくる彼らの会話に耳を傾けてみると、ひたすらポケモンカードの話をしていた。なんだお前ら楽しそうじゃねえか。私もなあ、これでも幼稚園から小学校低学年までポケモンカードしてたんだ。エネルギーカードとか、赤色のツヤツヤしたおはじきみたいなやつとか、オーキド博士とか、そういうのがあったのはぼんやり覚えてるぞ。まあ、やる友達がいなかったからいつもひとり対戦してたけどな。ガハハ。そんな具合で、他人の「楽しい」を感知して、「ああ、楽しいんだなあ」と認識することは実に容易なのだ。それに比べて、自分の「楽しい」を感知することの難しさと言ったら。
口に出して確かめるようなことでもあるまいに
ブログを書いているときも、面白い動画を見ているときも、私はきっと「楽しい」のだと思う。楽しくなかったらブログなんか書かないし、寝落ちするまで動画を延々垂れ流したりなんかしない。けれども、楽しそうな他人を見ているときほどに、自分の「楽しい」をはっきり感じ取ることが出来ないのは不思議なものだ。昔はむしろ逆だったような気もするのだが。自分で自分の手の甲をつねったら痛い。それは、他人が他人に手の甲をつねられているのを見ているときよりも、ずっとはっきり感じることができる。自分が「腰いてえ~」と唸っているのと、他人が「腰いてえ~」と唸っているのを見るのとでは、「腰いてえ~」の度合いが段違いなのだ。そりゃあ、心底痛がっている人や酷い傷を見るとこちらまでイテテとなりもするだろうが、所詮それは他人の「いてえ~」であって、こちらは想像の痛みをぼんやり感じ取るだけに過ぎないのだから。それなのに、自分の「楽しい」はどうしてこうも感じづらいのだろうか?ものは試し、キーボードを鳴らしながら、「ブログを書くこと、楽しい!」と口に出してみる。面白い動画を再生しながら、「動画を見ること、楽しい!」と呟いてみる。確かに楽しいんだ。楽しいんだが……ウーン、これじゃない。これじゃないんだよなあ。
当ブログは習慣とも惰性とも違う不思議な力によって運営されています
「ブログを楽しんで書いているか」と問われれば、「まあ多分楽しいんだと思いますよ、書いている最中のことはよく分かりませんけども」と答えるしかない。「自分で書いたブログを楽しんでいるか」と問われれば、「何書いてんだこいつと思うことはありますけども、果たしてこのブログが楽しいかどうかはわたくしにはさっぱり分かりません」と答えるしかない。楽しくないなら続けてない、楽しいから続いてる、続いてるなら楽しいはず、きっとそう。それなのに、はっきりと「楽しいです」と答えることが出来ない理由は、ウーン、ちょっとよく分かりませんね。まあ、そんなことが分からなくてもこうしてブログは続いてるわけだし、続いてるなら楽しくないってことはないだろうし、本当に楽しいかは分からないけれど、分からないものが分からないままで上手いこと続いている、そういうことで手を打ってほしい。
結局のところ、「楽しい」とはどういうことですか?
楽しいということです。