一本の奥歯から考える人間の構成要素についての覚書|ポロリもあるよ
奥歯が取れた
なんで
自由の奥歯
昨晩、洗面所に置くタオルを取ろうとしたら奥歯が取れた。なんでやねん。舌の上を何か硬いものが転がる感触がして、ぺっと吐き出したら歯だった。見た感じまるまる1本でないことだけは確かなのだが、アレが一体奥歯のどの辺りのどのくらいに相当するものなのか、皆目検討もつかぬ。なんだか恐ろしいので鏡で患部を見る気にもならない。奥歯のほんのひとかけらでも、己の身体の一部がこんな風にポロリと外れるのは嫌な気分だ。ウーン、奥歯。奥歯なあ。他の歯がしっかり揃っていてきっちり機能している今のところは(ここ大事)、失くして惜しいようなものでもないが。おい奥歯、既に私の一部ではなくなった奥歯、私の支配から脱して自由になった奥歯、お前はこのあとどこに行くんだ。
特に意味のない部分を贅沢に使用しました!
それにしても、アレだな。私の一部に私の許可なく勝手にポロリされてしまうと、私という生き物が特に意味のない部分の寄せ集めで出来ていることがバレバレになってしまうな。勿論、ある日突然腕や足や頭がポロリしたとして、ポロリした腕や足や頭を「特に意味のない部分」とは到底呼べまい。なのでそういう重要なパーツは別として、今回の奥歯とか、そこらじゅうに散らかってる髪の毛とか。あとはこう、「己はこう生きるという意志」とか、「人生の目標」とか、「将来への希望」とか、そういうものも今までにたくさんポロリしてきたが、それでも私は今この場に平然と立っている。あれらは所詮、私にとっては、特に意味のない部分の寄せ集めに過ぎなかったのだ。そういうものが、足元に山ほど積み上がっている。私はこれらを丁寧に、足の裏全体を使って味わうように踏みつけてみる。なるほど、一旦私からポロリしてしまった部分というものは、どんなに痛めつけても痛みを感じないらしい。またひとつ賢くなった。
お前の席ねえから
私が私の意思で特に意味のない部分を山ほど脱ぎ捨てたのではなく、特に意味のない部分の方が私の方を脱ぎ捨てて、身軽になっていったのだ。ヒャッホウ、俺たちゃ自由だ。特に意味のない部分だって、なんの原因や理由もなくポロリしたりはしないだろう?そこには恐らく、なにかしらの必然か、さもなくば意志があったに違いない。何らかの理由があってポロリすべくしてポロリしたか、特に意味のない部分自身がポロリしたいという強い欲求を抱いていたか。もしくは、たまたまそんな気分になった。これらの事情は、私の極端な去る者追わず主義とすこぶる相性がいい。ああ、ウン、私の元から去ってしまうのは悲しいけど、お前の意志を尊重するよ。気が向いたらいつでも帰っておいでとか、そんなことも一切言わないことにするよ。お前がいた部分にはセメントか何か流し込んで穴埋めをしておくから、自分がいなくなったあとのことなんて何も心配しなくていい。ただ時折、お前はお前の名を思い出してほしい。私はお前の名付け親だ。私はお前を特に意味のない部分と呼び、我が一部でなくなったあとも、そう呼び続けるだろう。不在の穴は全て即座に塞がれる。
代わりとなる有意義なものを流し入れることを知らないのか
私とて人生これからと言えるくらいの余地は残されていると思うのだが、色々なものがポロリしたあとの穴に次々セメントを流し込んでせっせせっせと穴埋めしているうちに、身体がどんどん重くなって、まともに歩くことさえもままならなくなってしまった。そりゃそうだ、セメントなんだもの。そんな重苦しいものじゃなくて、もっと軽やかで、鮮やかで、流し込んだ瞬間に翼が生えるようなものを入れなさいよ。セメントで塞ぎ固めてしまうくらいなら、レッドブルをなみなみ注いでおいた方が万倍もマシだわ。これじゃ、いざという時の取り外しもお手入れもままならない。
昨日バイト先のトイレの手洗い場でうんこしている人がいた
なんで