すごい一般人についての覚書|秀でた部分があってはじめて一般人になれるの
一般人様の才能が留まる所を知らない
すごい一般人多すぎ問題。プロブレムの方ではなくイシューの方です。最近、考えることを仕事としている人顔負けなくらい考えることが上手く、伝えることを仕事としている人顔負けなくらい伝えることが上手く、書くことを仕事としている人顔負けなくらい書くことが上手く、人を惹き付けることを仕事としている人顔負けなくらい人を惹き付けることが上手い一般人、ゴロゴロいるじゃあないですか。いえね、時々、ぱっとしないプロをべこべこに下げてやり手のアマチュアばかりわっせわっせと持ち上げたがる人がいるが、私はなにもそういうことをしたいわけではない。ただ、一般人ってのは、もうちょっとこう……特別悪くはないが良くもない、毒にも薬にもならないような人々の集合だと思ってたから、その、勝手に親近感を覚えていたのだが、蓋を開けてみれば、私よりずっとずっとレベルが高い人たちばっかりで驚いたなって……ハハ……
能あるパンピは爪を隠す
インターネットは、「一般人」の化けの皮を剥がすという大仕事をやってのけた。とはいえ、今でも「一般人」と言われれば誰しもが彼らの姿を思い描くであろう。「どこにも存在しないが、みんなが知っている」彼ら「一般人」の姿を。唯一無二にして有象無象でもある彼ら。あの愛らしい平凡、がんぜない無個性、 幼気 な普通人たち、彼ら「一般人」は一体どこへ行ってしまったのか?既に右を見ても左を見ても、非凡と、個性と、特殊で溢れかえっている。私はそれらで窒息しそうなほどだ。私 の 一部であり、私 が その一部であるところの、偉大なる存在、かの「一般人」は、一体どこへ消えてしまったのか?今や「一般人」の方こそ遠い存在で、「すごいひとたち」の方が近しい存在になった。「一般人」が、実はあんなにすごいひとたちの集まりだったなんて、どうして誰も教えてくれなかったんだ。
だ……誰だお前!
ウーンなんてことだ。ワシの愛する「一般人」、名も無き人々が絶滅危惧種だなんて。えーい貴様何者だ、いや何者でもいい、何者でなくてもいい、名乗るな名乗るな、決して名乗るでない、後生だから名乗らないでくれ。名も無き人々を守れ。お前らみんな、名も無き人々の中に還れ。世の中には、名も無き「一般人」が一定数必要なのだ。彼らの存在をなんとしてでも確保しておかねばならぬのだ。それに、替えの利かない人間ばかりがこのままどんどん増えていったら、却って困るのは人間の方なのではないか?過ぎたる個性は社会を滅ぼすかもしれないぞ。人類史は長いこと、「名の有る人々」と「名も無き民衆」の二人三脚でやってきたというのに、このままだと人類史の登場人物が「名の有る人々々々々々々々々」になってしまう……一体全体、ワシに歴史の教科書を何千ページ作らせるつもりなんだ?歴史の教科書は地球市民の名簿じゃないんだぞ。これまで「一般市民」とか「民衆」とか「民間人」で一括りに出来たものが、いずれ、出来なくなるかもしれない……ウウッ。世も末だ!全員に名前があって、全員に特徴があり、全員に個性があり、全員に才能があり、全員が全員、誰にも代え難い存在であるなんて……あれ、それってわりといいことなんじゃ?
目標はでっかくね
ネットを通じて見知らぬ人々の存在が近くなるほど、見知らぬ人々の暮らしが見えてくるほど、見知らぬ人々の人生を知れば知るほど、「一般人」ってクソハードル高いなと戦慄するようになった。これまですごい人になりたいだなんてこれっぽっちも思わなかった。ただ、みんながいるところに、特別良くも悪くもないところに、私も混ぜてほしかっただけだ。でも今時はすごくなきゃ、「一般人」にも入れてもらえないんだ。ぐぬぬ。私、やっぱりすごい人になります。