珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

終わらない1週間が終わりへと向かっていく覚書|現世とかいう地獄の零階層目

3月の給料日が来たらやることといえば4月の給料日までのカウントダウンを始めることですよね

今月も無事給料日が来た。6日の拷問と1日の空虚を繰り返すこと4回。1日は、追い越しても追い越しても私の前を走っている。労働は、減らしても減らしても私の盃になみなみ注がれている。ウグ。私の休みは土曜日なので、火曜日辺りの絶望感ったらない。長い。長すぎる。長すぎるのだが……気づいたらだいたい土曜日になっている。時間感覚が完全にバグっている。1週間は長くて早い。1日は長いが1週間は早いと表現した方がいいのか?いや、でも1週間が長いことは紛れもない事実である。長いけど……早い。いつまで経っても終わらなくて、それでいてあっという間に終わる。果てしない1週間の果てはすぐそこにあるし、底が見えない1ヶ月の底は浅くて澄んでいる。

 

無茶を言うんじゃないよ

もしかすると、「いやいや1週間は短くて遅いんだよ」と思われる方もいるかもしれないので、一応そっちについても考えておこうかな。ウン……ウーン?短くて遅いってどんな感じだろう。長くて早い、短くて遅い、どちらもあべこべ言葉であることに変わりはないのに、どうにも「短くて遅い」についてのイメージが湧かない。もし私の1週間が短かったら……きっと幸せだな。完全に私の偏見だが、1週間の短長は苦痛の軽重と同じように思われる。そして1週間の遅い早いは心の余裕の大小と同じように思われる。もちろん真逆に感じる人もいるだろうし、全く別の何かであると考える人もいるだろうから、その時はまーた白黒が妄言吐いてるよくらいに捉えてほしい。白黒ははぐろって読みます。1週間のうちに苦痛が少なく楽しみが多ければ、1週間は短いんじゃないかしら。そして1日1日をじっくり噛み締め味わいながら生きられるくらいの余裕があれば、1週間は遅いんじゃないかしら。つまり、避けられる苦痛は積極的に回避して楽しみごとに没頭しつつ同時に一歩引いたところから己の人生を達観出来るような器の人間になれば、短く遅く生きられるんじゃないかしら。

 

小学2年生の算数からやりなおしてどうぞ

ギリギリする胃をおさえて時計をにらめっこしているときの、時計の憎たらしさったらない。あいつら、全然進みやしない。進もうという意欲がまるで見られない。それでいて、何か楽しみが訪れたときに限って時計の針はグイングイン進む。私はこの歳になってもまだ、苦痛のうちにある1時間と楽しみのうちにある1時間が同じ長さの時間であるということを信じられないでいる。私が目を離した隙に時計が意地悪してるに決まってる。きっとそうだ。やいやい。「体感時間」などという向こうに都合のいい概念を人間に与えて、その実1分1秒の長さを調整してるんだろう?やいやい。そろそろ白状したらどうなんだ。やいやい。「太郎くんは、解き終えるのに30分かかる宿題を11時40分から始めました、太郎くんが宿題を終えるのは何時何分ですか」という問題があるとしよう。もちろん、答えは12時10分だ。だが、その宿題が太郎くんの苦手な算数だったとしたら、太郎くんは3時間ぶんくらいの苦痛の中にいるかもしれないね。それでいて大人は「たった30分我慢すれば終わるんだからおとなしく宿題しなさい」などと言うんだ。太郎が3時間ぶんの苦痛の中に迷い込んでいるまさにその瞬間に。現実の時間なんか、さっぱりアテになりゃしない。他人の時間は、もっとアテにならない。

 

終わらない1週間(期限付き)

長くて早い1週間を何度も、何度も、繰り返して、気分はまさにエンドレスエイト。1週間ってことでエンドレスセブンとでもしておこうかな。例の話と違うところは、同じ日々を何度も何度も繰り返しつつも実時間が進んでいる点である。体感時間は進んでいないのに、現実の時間はどんどん進んでいって、私はどんどん歳をとっていく。ちなみに例の話のように1週間を15498回繰り返した場合約297年かかり、私は324歳となる。人間の寿命がほどほどでよかった。3月1日からの1週間も、8日からの1週間も、15日からの1週間も、22日からの1週間も、振り返れば結局同じ、長くて早いいつもの1週間であったし、29日からの1週間もそうなのだろう。仮に違いがあったとしても、先週月曜日は10時に帰宅したが、今週の月曜日は11時に帰宅したとか、それくらいのものである。先週は10時だった帰宅が今週は11時になったからといって、「今週は先週とは全く異なる1週間であった、なぜなら月曜日に1時間遅く帰宅したのだから」などと胸を張って言えるだろうか?それならばいっそ「今週も先週と全く同じ1週間であった」と表現した方が却ってしっくりくるのではなかろうか?この「先週と全く同じ1週間」という感覚は、この先死ぬまで続いていくんだろうな。私がようやっと「今週は先週とは全く異なる1週間であった」と言えるとき、それは私がこの世とおさらばしたときだ。「今週は先週とは全く異なる1週間であった。なぜなら私が死んだからである」と。

 

 

 

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