珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

学びのハードルがU字曲線を描くさまをただただ眺めている覚書|学びたがらねば生き残れない

今週のお題「今年、学びたいこと」といえば

そら学びたいということについてよ

 

この状況で学べるもんなら学んでみろ的な生活をしている

週6夜勤、常時寝不足、趣味は寝ること、特技は5度寝、座右の銘は「疲労困憊」、上昇志向皆無、社会人経験ゼロ、生涯フリーター宣言、毎日頭痛薬を1シート消費するようなクソッタレ頭痛持ちな自分にも、「学び」というものについて考える権利が未だ残っているのなら、この機会にいっちょ考えてやろう。もちろん、ここで考えることは「何を学びたいか」ではなく「学びたいとは何か」である。

 

特権が義務へと転がり落ちるまで

学びたいという欲求は、欲求の中でもかなり上位に位置することはまず間違いない……そうよね?昔は、いやわりかし最近まで、学問なんて金と時間を掃いて捨てるほど持っている人間だけの特権だったわけで。歴史の教科書に名前が載っているような知識人、誰もが知っているあの人、この人、だいたい貴族の出身だからね。知らんけど。で、ごく一部の限られた人間だけが持っていた特権を、我々は手にしている。これはすごいことだ。しかし皆様ご承知の通り、特別な権利も大勢へ広く行き渡れば当然の権利となり、当然の権利はやがて当然の権利のごとく義務へと転化していく。やりたくてもやれないような学びから、やりたいやつはやればいい学びに変わり、やりたくなくてもやらなきゃならない学びへ。とはいえ、我々が本当に義務として負っている学びというのは実際ごくごく一部で、学びのうちのほとんどが「義務ではないが実質義務になっている学び」と、「正真正銘義務ではない学び 」である。正直言うと私はもう何も学びたくないのだが、仮に学ぶとするならば、断然後者がいい。先日も少々述べた通り、私は世の中のありとあらゆる「義務ではないが実質義務」というものが嫌いでね。

 

こんなに意欲のない私を生かしておいてくれてどうもありがとう

一度「学びたい」という欲求の炎が完全に消えてしまったら、再点火することは実に難しいなあ。私とてかつてはそのような欲求に駆られやる気に満ち溢れていた時代があったのだ。多分。今は見る影もなくなってしまったけれど。そんな私を見逃してくれている世間様の慈悲深さには畏れ入るばかりだ。まこと、世の中の温情に救われている。今のところは、 少なくとも今のところは・・・・・・・・・・・ 「もしもしあなた、学びたいと思わないなら、この世で生きる価値はないですよ」などと私に面と向かって言ってくる存在はいないから。学びたいという欲求のない人間を回収して山へ捨てに行くようなシステムは、今のところは、 少なくとも今のところは・・・・・・・・・・・ 存在していないから。ただ面と向かって言われないだけで、ただ実際に山に捨てられることがないだけで、内実は既にそうなっているのかもね。私が生きているうちに、「学びたい」という欲求そのものが明確な義務になってしまったら、私はどうやって生きていこうか。学ぶ特権、学ぶ権利、学ぶ義務と来たならば、その次に来るものはきっと「学びたい」の義務だろうさ。我々は学びたがらなきゃいけなくなるんだ。ヒエーッ。生きていけないよぉ。

 

実質義務は実質、義務だから実質義務

人間、ありとあらゆる場面で「何をやりたいか」ということを尋ねられる。まだ会話も覚束無いような頃から大人になったらなりたいもの・やりたいことについて尋ねられて、「小学生になったら」「中学生になったら」「高校生になったら」「大学生になったら」と延々作文を書かされ続け、成人してからも「社会人になったら何をやりたいですか」と聞かれ、顔面に皺が刻まれたあともなお「定年退職したら何をやりたいですか」、などと。下手したら「あの世に行ったら何をやりたいですか」と聞かれるかもしれない。それで、一度でも「特にやりたいことはないです」と言うと怪訝な顔をされる。「何をやりたいか」ってそれ、 実質・・ 「何を学びたいか」ってことじゃないか。私が30歳になったらやりたいこと、特にないです。仮に就職して社会人になったら学びたいこと、特にありません。な、なんですかその顔は。ホラホラだって、「学びたい」という欲求は、今のところ義務じゃないんでしょう?義務じゃないんなら別に……エッ! 実質・・ 義務なんですか!義務じゃないけど 実質・・ 義務だから学びたくなきゃいけないんですか!でも明文化された義務じゃないんでしょう?はあ、明文化された義務じゃないけど 実質・・ 義務だから 実質・・ 義務になりますねって、そこになければないですねみたいなこと言わないでくれませんか! 実質・・ 義務がゲシュタルト崩壊してきましたよ!畜生これだから私は 実質・・ 義務ってやつが嫌いなんだ!学びたがれ、私!「学びたい」ことはとっくの昔に 実質・・ 義務らしいぞ!

 

人類は「学び」においてどこまで行けるのか見ものだな

学ぶことが実質義務なのではなく、「学びたい」ことが実質義務。自発的に、誰からも強制されることなく、学びへの欲求を進んで抱くことが実質義務。なんだか一文中に矛盾を感じるが、これでいいのだ。ほっといたら一生自ら進んで学びたがらないような人間に対して、嫌でも学びたがらせるような見えない力が働こうとしているのは、確かに感じるな。ホラホラ「学びたい」って思いなさいよ。自発的に。さもなくば……いや、なんでもない。別に、「学びたい」という意欲を感じられない人間は切り捨てて見放そうだなんて、そんなこと1ミリも思ってないわ。これからの時代、強制されてようやっと学びだすような種類の人間じゃ採算が取れないからもはや必要ないだなんて、そんなこと1グラムも思ってないのよ。学ばなければ生きていけない世の中は、学びたがらなければ生きていけない世の中へと、次のステージへと進みつつあるのだ。今はまだギリギリ、表立って言われないだけで。あと100年もしたら、さっき書いたようなことが現実になるかもしれない。24時間、365日、オギャーと生まれてから棺桶に入るまで、学びたいという欲求を抱き続けられない人間が、山にぽいっと捨てられるような未来が。ほんの少し前まで学びたくても学べない人間で溢れかえっていたなんて嘘みたいだ。

 

学びたいこと、見つかるといいね

 頭痛が酷すぎて頭痛薬を飲もうとシートから1錠だけ取り出したところで気絶していたらしい。おはようございます。目覚める前の私が痛みに取りつかれて鬼のようなこと書いてて少し笑ってしまった。そうか、もう単純に学ぶだけじゃだめなんだ。学ぶだけじゃ、取り残されてしまうんだ。嘘発見器を取り付けられあなたは学びたいですかと聞かれて、ハイ学びたいですと大きな声でいいお返事が出来ない人は、だんだんおいてけぼりにされてしまうんだ。学ぶことはもうとっくに当たり前。 当たり前の魔の手は、「学びたい」へと伸ばされている。「学びたい」が当たり前になるんだ。もうなっているのか。わからない。グウ頭が痛い。次の私はきっとうまく学びたがるでしょう。

 

(´-`).。oO(このバナー白黒にしたいなあ)

 

 

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