珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

新生活が始まらない件についての覚書|はじまらない、おわらない かっぱのきのぼり

盛大に何も始まらない

新生活が始まらない皆さん、こんにちは!いよいよ明日から新年度ですね!新年度だからといって我々は特に何かが変わるわけでもありません!心機零転、毎日毎日似たような日々を繰り返しながら相も変わらず必死に生きてまいりましょう!

 

就職しろ

「新生活」とはどこからどこまで「新生活」なのだろう。入学、就職、新居での暮らし、これらが「新生活」なのは分かる。環境がガラリと変わったら新生活。フーン。いいなあ、「新生活」。私の今後の人生、果たして「新生活」なるものはやって来るのだろうか。今のところ引越しの予定はまるでないし、今住んでいるアパートを終の棲家とする覚悟さえ完了しているので、何かそれ以外において新しいことを始めない限り「新生活」は永久にやって来ない。正社員就職つったって、フリーターが正社員になるのに節目の月にやらなきゃならんわけでもないし、バイトが変わったくらいの気分しかもたらすまい。まあ就職の予定は今のところないんですけども。

 

新しい手帳だって店で選んでる時がモチベーションのピークだから

1月1日、それに4月1日。何かを始めるのにはもってこいの節目の日。毎年懲りずにその日から何かを始めようとしては、始める前から諦めることを何年も繰り返してきた。天の声が聞こえる。「節目の日から始められることの大半は今日からでも始められるし、今日から始めて続かないことは節目の日から始めても続かない」。ご尤もでござるなあ。でもね、自分が意識して発奮せずともモチベーションが勝手に上昇してくれるような都合のいい日が1月1日と4月1日しかないの。それ以外の日に何かを始めようと思ったら、「始めるぞおおおおうおおおお」って自分を奮い立たせまくってやる気ガンギマリになるまで燃え上がらないと始められないの。で、大抵の場合燃え上がりすぎて何かする前に燃え尽きちゃうの。でも1月1日と4月1日なら、正確には12月31日と3月31日なら、どんなにテンションが低かろうとも、「あー、明日からなんか始めよう」って気になれるの。魔法の日よね。

 

始まらないものは続かないし終わらないんだよなあ

そうやって毎年毎年失敗しているわけだから、なんかもう流石に諦めがついてきた。自分には何かを始める才能がない。仮に始める才能があったとしても続ける才能がない。仮に続ける才能があったとしても終わらせる才能がない。始めたら、続けて、終わらせなきゃいけない。文字に起こすと本当に当たり前のことだけど、このことをちゃんと理解してないと、何事も中途半端で終わってしまう。「いっぺん始められたんだからあとはトントン拍子でなんとか終わりまで行くだろう」と楽観して、実際そのように行く人はそう多くはない。

 

イッツー人間なんてそうそういるもんじゃないけども

始めることは容易に出来るが、続けたり終わらせたりすることが出来ない人。逆に、始めるまでに途方もない時間と労力を要するが、一旦始めさえすれば上手いこと続けたり終わらせたりすることが出来る人。また、始めたり続けることは上手にやってのけるが、終わりが近くなるとどうにも尻切れトンボになってしまう人。始めることも続けることもパッとしないが、終わらせるときだけは妙に潔い人。なんとなく始めて、なんとなく続けて、なんとなく終わらせて、虚しくなる人。私のように、始めることにも続けることにも終わらせることにも才がない人。世の中、色々いるもんだ。始めること、続けること、終わらせること、そのうちどれか一つでも不得手がある人は、その不得手な場面において自分に強制をかけてくれるような環境に身を置くことがいちばんなのだと思う。その点において、学校とか職場は、まあまあいい環境だ。早くやりなさい、毎日続けなさい、いつまでに終わらせなさい、そういうことをいちいち指示してくれるから。最後にそういうことを言われたのはいつだったかなあ。今の環境はせいぜい、「シフト希望をいつまでに出してね」とか、それくらいしか言われないもんなあ。

 

大人になれない僕らの

自分に自分で指示を出せてかつそれにきちんと従える人間になったら、胸張って「私は大人です」と言えるのかな。外部から指示されないとやれない私はまだ子どもだ。大人になるのはまこと難しい。

 

 

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