0.05gの重しについての覚書|年齢というものは思いもよらぬ箇所からやって来る
つけまとれる
最近の悩み。労働中につけまつげが取れる。もう私も若くないのかもしれない。まぶたが限界に近いのかもしれない。目頭の側から3ミリくらいペロリとめくれる。流石にまるっと取れはしないが、瞬きに違和感を覚えたときには決まってほんの少し浮き上がっている。ポケットに専用接着剤と鏡をいつも入れて隙あらば確認するようにしている。今更目元に小細工を弄してどうなるわけでもあるまいに、そこまでしてつけまつげを装着する必要が果たしてあるのか?答え。装着する必要は全くないが、装着し「続ける」必要がある。察しのいい人ならこの時点でオチが読めたかもしれない。だれかつけまつげの呪いから私を解放してください。
「目を見て話せ」ってわざわざ言う必要もなくなったよね
ぶっちゃけ、マジでやめてもいいかなと思っているのだ。アラサーだし。面倒くさいし。たまにチクチクするし。しかし……しかしね、私が今夜から突然つけまつげ無しで出勤してみろ、「君なんか昨日と違わない?」って……なるじゃん。考えすぎかもしれないけど、なるかもしれないじゃん。ましてや今は空前絶後のマスク社会、見るも見せるも「目」しかないのだ。マスク社会になってからというもの、ちょっと他人と接しただけでバチッと目が合う、相手の目を見ろも何も最初から相手の目しか見えない、目しか見るところがないからずっとお互いの目を見てる……あの恐ろしさよ!いやほらナントカは3日で慣れるというし、目元が妙にさっぱりした私も3日あれば慣れられるかもしれないが、「あれ白黒さんなんか昨日と顔違くね」と思われるその瞬間を想像すると、ヒエーって……なるじゃないですか。いっそ声に出して「あれ白黒さん今日すっぴんですか!?目ェちっちゃいですね!!」とでも言ってくれた方がまだ救われる。私はもともと一重なのだが、つけまつげを付けるとそこそこ綺麗な二重になるので、つけるのとつけないのとじゃマジで目の大きさが倍くらい違う。やめるにやめられない。あのー、すみません。つけまやめたいので転職します。
己を偽れなくなる日が来るとは思わなんだ
慣習に囚われて本末転倒になっている人は世の中に大勢いるが、習慣に囚われて本末転倒になりそうな人もここにいます。あのね、違うの、自分を可愛く見せたいからやめられないんじゃないの、この目の大きさで2年半やってきたから今更本来の目の大きさに戻せないだけなの。もし今のバイト先を辞めて別のバイトを始めるような日が来たら、そのときはつけまつげ無しで履歴書の写真撮るし、つけまつげ無しで面接に行くし、つけまつげ無しで働くでしょう。継続は力なりというが、継続の結果、己の力を制御出来なくなった人になっている。目頭側がちょっと剥がれるとね、ほんとチクチクするんですよ。それに人と至近距離で会話したあと剥がれてることに気づいたらめちゃくちゃ恥ずかしい。あーあ、去年くらいまでは全然こんなことなかったし、大学生の頃は今よりもっと重たくてバサバサしたのを使ってたのに。これはアイクリームとか使い始めたほうがいいやつなんだろうか。早い人は20代前半のうちからしっかり使ってるんでしょうけどね。ウーン、もうあんまり自分に投資したくないんだけどなあ。偽りの仮面を維持する費用だけでいっぱいいっぱいなので。
思い出話をすなーっ
これまで肝心なことは何をやっても続かなかった私が言えるようなことではないが、やはり続けることは強い。最初は少しでも可愛くなりたいと思って始めたことが、だんだん習慣になり、やがて惰性になり、最後には呪いになっている。ふと気づいたが、つけまつげは大学デビューと同時に使い始めたから、今年で10周年になるわけだ。10周年。何もめでたくない。あの頃は化粧してお洒落して外に出るのがめちゃくちゃ楽しかった。ほどほどに大学生して、ほどほどの企業に就職して、ほどほどに稼いでそのお金でまたほどほどに化粧してお洒落して外に出るんだとばかり思っていたが、ウーン、人生はうまくいかんなあ。こんな具合に、人はうまくいくかもしれない未来よりもうまくいかなかった過去について 滔々 と思いを馳せるのだった。差し当たって私がやるべきことは、今後この手のつまらぬ思い出話を「ほどほどに」しようと努めることだな。高田純次もそんなことを言っていただろう。羽根より軽いつけまつげも、今の私には重すぎるらしいから。