終わらない予行演習についての覚書|前日にプルタルコスの『怒らないことについて』を読んだのは一体何だったのか
い゛い゛気゛分゛!!!!!!!!
土曜の早朝、某コンビニの事務所内に私の怒鳴り声が響いた。私が怒声を叩きつけた相手は同じ深夜アルバイトのかなり頭のおかしいおばちゃんで、ちなみにそのおばちゃん相手に大声張って叱りつけたのはこれで2回目なのだが……おっとイカンイカン。昔の忌まわしい思い出話が始まる前に切り上げておこう。やめだ。やめやめ。またストレスがフラッシュバックして体調を崩すぞ。あー!あー!一旦ポテチ食べます!
ポテチ食べた
あー、そう、つまりね、あまりにも腹立たしい出来事があったもんで、その日帰ってからブログに書き散らしてやろうと思っていたのだが、キーボードに指をかけるたびに怒りがこみ上げてきて、頭が真っ白になり、文字を書くどころではなく、貴重な休みをフットーしそうな頭と張り裂けそうな心臓と共に過ごし、日曜の夜に改めて吐き出そうとブログの編集画面を開くもまた怒りがこみ上げてきて頭の中がとっ散らかり、執筆を諦めて怒り憎しみ動悸息切れ胃痛頭痛フルコンボだドンの状態で出勤して、現在に至るわけだ。こうやってキーボードを叩いている今も、極力具体的な出来事を頭の中から排除して、ただただ「怒り」についてのみ書こうとして、歯を食いしばっている。うぐぐ。思い出すな。思い出したらまた頭に血が上って体調を崩すぞ。いや血なら土曜の朝からずっと上りっぱなしだ。そのせいで頭痛が止まらないんだ。うぐぐ。いいかね私、あの時感じた、そして今も感じている「怒り」についてのみ考えるんだ。当時の具体的な状況について思い出そうとするんじゃあない。
どの角度から見てもケチのつけようがない完璧な愚痴
この週末、そして今日の労働中、怒りを吐き出したくて吐き出したくて気が狂いそうだった。頭の中で、見知った人間相手に愚痴る妄想を何十回何百回と繰り返した。その妄想の中で、私は当時の状況を何十回何百回と饒舌に説明した。いっぺん思い出すだけでも不愉快になる出来事を、何十回、何百回と繰り返し繰り返し口に出した。何度も何度もやっているうちに、私の意図がはっきり伝わるよう、相手から「ええっ!?」というリアクションを引き出せるよう、相手から確実に同情してもらえるよう、一方で冗長すぎる愚痴によって相手を不愉快にさせないよう、アレを削りコレを削り、愚痴の推敲を重ね、パーフェクトな愚痴が出来上がった。脳内で誰かを相手に愚痴の予行演習をすることで、実際に愚痴れるその時がやってくるまでの間に、少しでも怒りを昇華させようとしていたわけだ。まあ、全くの悪手だったわけだけれどね。愚痴の予行演習なんて、するもんじゃないな。
Twitterの正しい使い方
腹立たしい出来事が起こったときに愚痴の予行演習を脳内で繰り返してしまう人、きっとたくさんいると思う。抱いた怒りを誰かに語って、誰かに同情してもらうまで、どうにもこうにも怒りが収まらないような人。少し前の私ならTwitterに書き込んで誰かから同情の「♥」をポチっとしてもらえば、それで収まったかもしれない。というか、実際それで収まっていた。今は企業やアルファツイッタラーを眺めるROM専用アカウントしか持っていない。ウーン、失敗した。「誰かがそこにいるTwitterアカウント」を維持しておくべきだった。実際は誰にも見られてなかろうとも、フォロワー全員からミュートにされていようとも、「誰かが同情してくれるかもしれない」というかすかな希望さえあればそれでいいのだ。フォロワーを己のストレス解消に利用するような言い方で大変恐縮だが、私の脳内で無限に繰り返される愚痴の予行演習を止めるために、どうか、どうか大目に見ていただきたい。まあ今はフォロワーいないんですけど
人に愚痴るときは「なんかすごい珍獣を見たんだけど」くらいのノリで話すのがベストだと思っている
さて、脳内で無限にループする愚痴の予行演習をどう止めたらいいのか?いちばん手っ取り早いのは、本番を執り行うことだ。つまり、現実で誰かに言う。けれどももし、現実で愚痴をこぼせるような相手がいなかったら?いたとしても、今すぐ聞いてもらうことが困難であったなら?めくるめく愚痴の予行演習は、一体いつまで続くのだろうか?それは抱いた怒りの大きさのぶんだけ、怒りが複雑であればあるだけ、今日も、明日も、明後日も。考えただけで吐き気がする。幸い、私は朝出勤してきた陽キャの店長を捕まえて聞いてもらって、期待を裏切らないクソデカリアクションを頂いて、予行演習の無限ループは約2日で落ち着いた。ありがとう店長。ごめんね店長。来ていきなり愚痴を聞かされるなんて堪ったもんじゃなかったろうに。こんどスニッカーズ買ってあげるね。
もう一人のボク
愚痴の予行演習は止まったが、丸2日頭に血が上り続けていたことによる睡眠不足と体調不良は相変わらず。例のおばちゃんに賠償金を請求したいくらい……ウッやめよう。やめやめ。例のおばちゃんなんかいなかった。そうだろう?そうよね?これを読んでくれた人たちもありがとう。愚痴を読んでくれて、どうもありがとう。そうだった、私にはTwitterがなくともブログがあるんだった。こうやってインターネットで誰でも気軽に発言出来る環境が整うまで、現実で愚痴の本番を執り行えない人々は、どうやって愚痴の予行演習を止めていたんだろう。自然に収まるまで、じっとしているしかなかったんだろうか。話せる誰かなんて誰もいないのに、誰かに話す妄想が止まらない、なんて。そんなの辛すぎるでしょう。自分の中にもう一人のボクを創るしかないじゃない。ハァ。サンキューインターネット。サンキュー。