1冊のノートについての覚書|そうね、私は地獄に堕ちるの
好奇心は人を殺す
保管期限の過ぎた忘れ物を処分していたときのことであった。その中に1冊のくたびれた小さなノートがあった。表紙の傷み具合、ページの膨らみ具合からして、相当に書き込まれたものであると容易に推測できた。「イカンイカン、こういうのは中身を覗かずに黙って捨ててやるのが礼儀ってもんだ。」そう自分に強く言い聞かせながらそっと表紙を開くと、1ページ目には明らかに誰かに見せるための文章、その草稿のようなものが書き散らしてあった。次いで、今月の電気代、買い物メモ、ゲーム中の武器やアイテム一覧、簡単な日記、などなど。とにかく何でも書き込んであった。この小さなノートは持ち主の生活そのものであった。実際はそんなじっくり眺めたわけではなく、数ページをパラ見したあとすぐに居た堪れない気分になったため表紙を閉じた。「イカンイカン、こういうのは中身を覗いたとしても黙って捨ててやるのが礼儀ってもんだ。」そう自分に強く強く言い聞かせた。
そのノートが今、私の手元にある。
古書店に行くとたまに昔の人の日記帳が売ってあったりするけど本人からしたら堪ったもんじゃないわな
先日引き出しを整理していたらこのノートが出てきてひっくり返りそうになった。何ヶ月もずっと忘れていた。それを恐る恐る手に取って、適当にパラパラとめくって、またあのときのようにどうしようもなく居た堪れない気分になって、すぐに閉じた。ボロボロの表紙がお前にだけは中身を見せまいとして中紙に覆いかぶさっているのを見てすごく安心した。そう、それでいい。ずっとそうしておいてくれ。なんなら表紙の裏に重りでも付けてやろうかい。私が一生このノートを開けないくらい重たいやつをね。今だって、これで1本記事を書こうと思って引き出しから運んできたはいいものの、どうしてもまじまじと読む気にはなれなくて、折れている角っこをチョイチョイと弄りながら、PCの前でずっともじもじしている。
人の生活は黙ってればカワイイ
これは私が人生で犯した最大の罪かもしれない。名前も知らない誰かの生活そのものを自宅に連れて来てしまったことにひどい罪悪感と背徳感を覚える。私の生活の中に誰かの生活を無許可で強引にねじ込んでしまった。これはもう、私と誰かの共同生活ではあるまいか?他人、特に親兄弟ではない誰かと一緒に暮らしている人は、いつもこんな気分で生活しているのか?己の生活の中に、誰かの生活が混ざっている状態で。私の手元にある誰かの生活は何も言わないし何もしないが、みんなの手元にある誰かの生活は口をきくし、何かをするわけでしょう。もしもこのノートが書いてある通りのことをぺらぺら喋りだしたら、間違いなく湯船にドボンと沈めてやるわよ。仮にこれが人間だったらどうなると思う?そう、えらいことになる。私が。
公開した後悔ですが
ここまで書いておいてなんだが、これは記事にすべきではなかったな。赤の他人の生活を覗き見した挙句勝手に持ってきて狭い引き出しに閉じ込めてそのまま忘れていましたなんて、黙っていれば誰にも知られることはなかったのに。ノートにひとつだけ訊きたいことがある。燃えるゴミの日に永久に葬られるのとこのまま私と一緒に生活するのと、選ぶならどちらの地獄がいいかね。どちらか好きな方の地獄を選んでほしい。責任をとって最期までお伴するから。