珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

若年寄の老中についての覚書|むかしむかしあるところに「老後」という概念がおったとさ

老中老後

己が何歳まで生きられるかなど皆目検討もつかぬが、理性の片隅でぼんやり考えるところによると、私はなんだかんだでそれなりに生きられてしまうんじゃないかと思う。そんな気がしてならない。そう、なんだかんだで、ババ……おばあちゃんまで。これ以上は1日たりとも働きたくないでござると言いながら、働くことしかない人生を結局最後まで全うしてしまうんじゃないかと思う。私が50歳くらいになる頃には定年というものはもう伸びに伸びきって、もはや定年という概念が使い物にならなくなるくらいびろんびろんになっているに違いない。パンツのゴムみたいに。果たして自分はいつまで働けばいいのかと、私の「老後」は一体いつになったらやって来るのかと、地平線の彼方まで伸びた定年目指して必死に走っているうちに寿命が尽きて、ポックリ逝くのだ。そう、私には、「老後」が来ないかもしれない。「老中」しかないのかもしれない。ペット可の狭いアパートで猫と一緒に静かに暮らすというささやかな「老後」の夢さえ叶えられずに、「老中」の半ばで労働に埋もれて死ぬのかもしれない。

 

某ゲームにはママ属性持ちのロリおばあちゃまとかいう三世代欲張りセットがいるから

「老中」といえばアレだよね、やっぱり若年寄だよね。ほら「縄文土器」といえば「弥生土器」だし、「古事記」といえば「日本書紀」だし、「摂政」といえば「関白」だろう。歴史とはそういうものだ。それでふと気になって調べてみたのだが、「若年寄」を字面通りの意味で用いるのは普通にアリらしい。今知った。てっきり国語警察に捕まるタイプのやつだと思っていた。小学館デジタル大辞泉には以下のようにある。

わか‐どしより【若年寄

1 江戸幕府の職名。老中に次ぐ重職で、旗本および老中支配以外の諸役人を轄。小禄譜代大名の中から通常数名が任ぜられた。少老。
2 若いのに言動が年寄りじみた人。

この俗っぽい使い方が一体いつ頃から始まったのかは知らないが、そうそうこんな具合に、使い勝手のよさそうな言葉はどんどん効率よく使っていくべきだと思う。それはそれとして、私は自分のことを「若いのに言動が年寄りじみた人」とまでは思わないが、「若いのに若さの特権をまるっと全部放り棄てた人」という意味では若年寄なのかもしれない。今よりもずっとピチピチだった頃から既に、若者らしいことが分からなかった。若者らしいことってなにさ。一体なにすればいいのさ。なにすればよかったのさ。宅飲みしたり、カラオケに行ったり、合コンに行ったり、デートしたり、ディズニー行ったり、PARCOに行ったり、徹夜で麻雀したらよかったのか?結局それらのうち何ひとつ果たせぬまま、「若者」が終わろうとしている。ああいや、PARCOには2回くらい行ったかな。

 

10年後の私は一体どこで働いているんだろう

若年寄の話はこれくらいにして、老中の話に戻ろう。若年寄は所詮老中の補佐役よ。私はこのまま一生フリーターでも働いて節制してコツコツお金を貯めていけば、歳を取って働くのが本格的にしんどくなった際にはきちんと「老後」を迎えられるのだと思っていた。本当に、そんなに上手くいくのだろうか。最近は、それなりにお年を召した方がスーパーやコンビニで働いている姿を見ることも珍しくない。近所のコンビニには結構年配の女性が朝から働いていて、だいたいレジの中にいる。というかレジから出ているのを見たことがない。歩き方から察するに多分脚が悪く、売り場とレジの往復が難しいんだろう。失礼ながら、そう考えた。そしてこれまた大変失礼ながら、もしかすると私も将来あの女性店員のように、痛む身体の一部を引きずりながら懸命に働いているのかもしれないなと思った。私の「老後」は一体何歳のときにやって来るのか?何歳まで働けばいいのか?ハァー、明日から、いや今日から、今からでも「老後」がやりたい。

 

身体が動かなくなってから「充実した老後をお過ごし下さい」じゃ遅いんだよぉ

そうそう、「老中」を迎えられない可能性に関しては、それはそれでいいと思う。だって痛む身体に鞭打ってヒーコラ働かなくてもよくなるわけでしょう。もしも人間がポケモンだったら「ろうどうポケモンとか「きんろうポケモンって図鑑に書いてあるに違いない。人間という働く生き物じゃなくて、人間という生き物が働いてるんだよ。この先の人間に、「老後」はありますか。

 

 

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