珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

偏屈と屁理屈の合成獣についての覚書|やる気 出ない気 記になる気

今週のお題「やる気が出ない」について一言

やる気モリモリはてなブロガーの人権が無視されてるのちょっとおもしろい

 

はてなのお題はお腹ぺこぺこ

「『やる気が出ない』日々にまつわるエントリーを書いてみませんか?」とは、今週のお題ページの中の一文である。ここでもまた、やる気が出ない”日々”と、複数になっているのがちょっとおもしろい。そりゃあ、何日も何週間もやる気が出ないことくらいあるだろうけどもさ。ああそれとも、連続したやる気が出ない日どものことじゃなくて、独立したやる気が出ない日のことをまとめて”日々”って言ってるのかしら。どちらにせよ、はてなブログは我々のやる気が出ない日の単品ではなくて、やる気が出ない日のセットメニューをご所望らしい。まあ、そっちの方が遥かにお得感があるもんな。ファミレスのドリンクバーも焼肉屋で追加注文する肉も単品で頼むと高いもんな。一応、やる気が出ない日々そのものだけではなくやる気が出ない日々にまつわる話も可とのことなので、ステーキ定食の注文を承けたのち敢えてステーキ定食を出さずに当店自慢のサイドメニューでお茶を濁すことも可能なのである。何言ってんだ?

 

実体のない獣

まあ今回は折角なので、まつわる話ではなくやる気が出ない日々そのものについて書…… こうとして・・・・・ やろうかい。しかしながら、やる気が出ない日々について書くとなると、こちらとしても少々頭を捻らねばなるまい。正直言って、日々について書くのはそう簡単なことではない。我々がある一定期間を指して「楽しかった日々」と呼ぶとき、実際はある一定期間内での「楽しかった瞬間」をツギハギして作り出した記憶のキマイラを指して、「楽しかった日々」と呼んでいるのである。「楽しかった日々」という生物が実在したわけではない。我々の頭の中に棲んでいるキマイラの名前が「楽しかった日々」なのだ。それが「楽しい日々」でも「楽しいであろう日々」でも基本は同じだろう。人が自ら瞬間をかき集めて初めてそこで日になり、日をかき集めて初めてそこで日々になる。この自論で行くと、「やる気が出ない日々」について書くならば、まず一定期間内での「やる気が出なかった/出ない/出ないであろう瞬間」をかき集めてツギハギして、頭の中で「やる気が出ない日々」という名のキマイラを一匹こさえねばならない。エッ、ヤダ……

 

「やる気が出ない」についての記事なんか絶対に書いてあげないんだからね

 このお題が何日前からあるのか知らないが、少なくともここ何日かはこのお題について考えていた。考えて、今日こそは書こうかなと思って、やめた。これを2回か3回繰り返した。今週のお題って何曜日更新なんだろう。とりあえず先に言っておくと、この記事の予定されていたオチは、「『やる気が出ない日々』について、 書いてやる気・・・・・・ が出ない日々」である。「やる気が出ない日々」というキマイラを一匹頭の中に仕立てるための材料、すなわち「やる気が出ない日」、それを組み上げるための材料、すなわち「やる気が出ない瞬間」、そういうのを寄せ集めるのにはもう飽き飽きしているんだ。わざわざお題を課されるまでもなく、私の日常には「やる気が出ない瞬間」が溢れかえっていて、自らかき集めずとも向こうから寄ってくる有様なのだから。濡れ手に毒粟さね。それで、私は「『やる気が出ない日々』についてなんか書いてやるもんかい、へへんだ」と考える瞬間を何度も繰り返しながら、ここ数日を過ごした。その断片を今思い返しながら、あの瞬間を頭の中でツギハギして、記事を書いている。すっげーへんてこないきものできた。

今週のお題書いてやる気が出ない」
 
 

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