珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

しでかしてくださる他人としてくださる自分についての覚書|相対的に自分の株が急上昇

なんでやねん

昨晩の客は12人だった。12人。6時間で12人だ。夜勤2人の給料を払えば余裕で吹き飛ぶくらいの儚いお客様方だ。これはコロナ流行以前の4分の1ほどである。社会情勢に加え、悪天候も影響したのだろう。ただ、それだけなら何も問題はなかった。問題は、そのうちの4人が過去に店舗で問題行動を起こし「対応要注意」の印を付されていたことである。なんでやねん。慌てて情報を参照すると、しょっちゅう会計でごねるとか、従業員に暴言を吐くとか、物を投げてくる(?)とか、用も無いのに何度も呼び出すとか、そういうことがつらつらと書いてあった。なんでやねん。一応言っておくが、うちの店は決してアヤシイお店ではない。にも関わらず、一晩の客のうち3分の1がヤバい人で構成されている店ってなんなのさ。それで、昨晩は死ぬほど暇だったにも関わらず、死ぬほどピリピリさせられた。ただただ「頼むから大人しくしていてくれよ」というお祈りの時間であった。最終的に、4人全員が大人しく店を利用し、大人しく店を出た。ホッ。ようやく安心して働けそうだ。胸を撫で下ろしてモニターを見る。おや、入店したばかりの客が2名。「対応要注意」の文言が2つ。なんでやねん。

 

戦いは質だよ兄貴!

接客業10年目の経験から申し上げると、客は量より質。これに尽きる。客が100人来ようが1000人来ようが10000人来ようが、彼らが 一般的に一般的・・・・・・・ なお客様である限り、単純に忙しいだけなら屁でもない。ヤバいのが1人来ることに比べればねえ。いっそのこと、対応要注意人物共有システムを廃止してしまえばいいのにと思う。そうすれば視界に映る客の一挙手一投足を警戒する必要もなくなるのに。なんかあったら、そんときはそんときだ。それでいいじゃないか。なんかある前からひたすら緊張させられるよりずっといい。私は見回りの先生でもなければ看守でもない。客の監視をしに来ているわけではない。そんな店、働く側にとってもサービスを受ける側にとっても不愉快だろうに。しかしまあなんというかこう、泥水にワインを1滴垂らしても泥水は泥水だが、ワインに泥水を1滴垂らせばそれはもうワインではなくなるのだなあ。

 

お付き合いするなら自分がいちばん

他人が何をするかなんて分からないのが当たり前だ。今この瞬間、目の前にいる他人が何をしてくださるのかも分からないし、何を しでかして・・・・・ くださるのかも分からない。全ては神のみぞ知る。だが近頃は特に、目の前の他人が何を しでかして・・・・・ くださるのか分からなくなることに食傷して、この先一生「他人」を超える人間と出会うことはないのだろうなとさえ思う。しみじみと。「他人」を超えるというと、友達とか、恋人とか、そういうやつだ。まあ、昔っから後者を作る気はこれっぽっちもなかったがね。ワハハ。それに反比例するように、目の前にいる自分が何をしてくださるのかという期待ばかりが膨らんでいく。だって、自分は私に対して意識的に何かをしでかして・・・・・ くださるなんてことは滅多にないんだもの。そりゃ自分に向けてポカをすることはあるし、自分で自分の首を絞めたり、自分で自分の墓穴を掘るようなことだってあるが、その原因も理由も証拠も全て自分の中にあるんだから、 こんなに安心出来ることもない。

 

私とて他人からすれば「しでかし人間」の1人に過ぎないのだなあ

ある物事を理解するのに不可欠なパーツが他人の中にあるのは、まったくもって難儀であり、面倒である。ここに何かをしでかして・・・・・ くださった他人がいたとして、その原因、理由、証拠、その他諸々の重要な事柄が全て他人の中にあるならば、私は一体どのようにして事態の正体を、本質を、真実を、理解できようか。他人の口からツルリと滑り出したそれらのパーツが真であるか贋であるかを、一体どのようにして見分けられようか。容易に理解出来ないからこそ他人の存在は面白いのだと、そう胸を張って言えるようになるためには、人生の長さが幾ばくか足りないようだ。

 

 

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