珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

(威圧)についての覚書|いつも当ブログを閲覧いただきありがとうございます

今日のひとこと

「いつも当店のトイレをきれいにご利用いただきありがとうございます」みたいなめちゃくちゃ低姿勢から狂気じみた威圧感を放ってくるような文章の書き方を「はんなりヤクザ構文」って呼んでる

 

トイレクラスタ民度低すぎない?

あー、いや、ウン。確かこんな話を聞いた記憶がある。「トイレはきれいにご利用ください(怒)」よりも「いつもトイレをきれいにご利用いただきありがとうございます(威圧)」の方が、トイレをきれいに使ってもらえるのだと。ほーん……って、イヤイヤ。イヤイヤイヤ。人間心理の不思議云々について感心する以前に、まっこと、まっこと、まったくもってくだらないと思う。私なら、「トイレはきれいにご利用ください(怒)」と書かれていようが、「いつもトイレをきれいにご利用いただきありがとうございます(威圧)」と書かれていようが、いつもきれいにご利用するからだ。むしろ、それが普通じゃないのか。まったく、一部の民度が低いトイレクラスタと一緒にされちゃ困る。むしろ汚トイレガチ勢の連中からトイレの汚し方を教えてほしいくらいだ。いや、本当に。

本当に。

 

買柱→売柱

似たような話にこんなものがある。ブックオフが、とあるパートのおばちゃんの意見を採用して、店の文句を「買い取ります」から「お売りください」に変えたところ、営業利益が格段に伸びたとかなんとか。で、そのパートのおばちゃんは後々ブックオフの社長?になったとかなんとか。どこまで本当かは知らないけど、大昔にがっちりマンデーで観たような気がする。ググればすぐに出てくるだろう。なるほど、このようなやり口は確かに効き目があったらしい。今の世の中にも効くかどうかは知らない。つまり、「お売りください(威圧)」というわけだな。この場合の(威圧)はおかしいと思われる方もいるかもしれないが、これでいいのだ。商売柄、客に売ってもらわないことには店からも売れない。店から売れなければ商売にならない。ただへりくだっているだけじゃだめなんだ。相手の寝首を掻いてでも売ってもらうくらいの覚悟がなきゃあだめなんだ。にこやかな笑顔で「お売りください(威圧)」って言われたら、こっちは戦々恐々お売りせねばなるまいて。しかし他方、「買い取ります(威圧)」だとちょっとやりすぎの感が否めない。ネタにならない(威圧)はただの威圧である。ウーンだから、例えばそうだなあ、胡蝶しのぶさんから笑顔で「お売りください(威圧)」って言われたら、そら売るでしょ。何でも。

 

世の中の固定されていた観念が少しずつぴょんぴょんするんじゃあ

私は世間から置いてけぼり……というか、世間に追いつけなかったはぐれ者であるが、それでも世の中にあるたくさんの価値観が少しずつ動いているのは感じる。あまり社会的な話題に手を出すとバカが露呈するので詳しくは言わないが、この間まで「これは、こう」だった物事が、「むしろああの方が適切なんじゃないか」になったり、「こうでもいいし、ああでもいい」になったり、そういう動きだ。これが前の話とどう関係するかというと、一言で言えば、ああいうへりくだり威圧戦法が時代遅れになってきた感じがする。今のトレンドは、へりくだり威圧戦法からへりくだりをなるだけ削ぎ落とした戦法にシフトしているような気がする。最初期は、ただのへりくだりであった。トイレで言うならば、「何卒トイレをきれいにご利用いただきますようお願い申し上げます」。そこから角が削れて「トイレをきれいにご利用ください」になった。次第に、へりくだりながら威圧することが有効であると気づいた人々によって、「トイレをきれいにご利用いただきありがとうございます(威圧)」が盛んに用いられるようになった。そして今はどうか。以前に比べれば、「トイレを汚すな」とストレートに言いやすい世の中になったのではないか。いや、私の体感でね。段落が長くなりそうだから次に行きます。

 

この「世間の後ろ盾を得た正しさ」ってのがまた厄介でもあるんだけど

続き。もちろん、トイレの話はあくまで一例である。けれどもなんというか、今までへりくだるしかなかった立場の人たちが、世間の後ろ盾を得た”正しさ”でもって真っ当に”命令”しやすくなったような、そんな気がするのだ。すなわち、傍若無人に汚されるトイレを指くわえて見ていなくてもいいし、やりたい放題やらかす客の言いなりにならなくてもよい。トイレとトイレの管理者はトイレを汚す人間がいればきちんと叱り、「トイレを汚すな」と”命令”する権利がある。なんてことはない、当たり前のことじゃないか。店員は店で暴れまわる客がいればきちんと叱り、「もう二度とやるな」「もう二度と来るな」と”命令”する権利がある。笑えるくらい、当たり前の話だ。そういうことが、ちょっとずつ、ちょっとずつ、やりやすくなっている。客は、客であるそのいっときにおいてだけ、店員よりほんのちょっぴり、立場が上かもしれない。でも店員には客を叱る権利がきちんとある。今まで、我々はこの権利を一体どこに置き忘れていたんだろうな?

 

店員さん……買わせて……買わせてクレメンス……

日頃はニュースサイトの流し読みくらいしかしない身なので、私があまりにも世間に追いついていなかっただけなのかもしれない。もしかすると世間の人たちはとっくの昔にこの権利を得ていたのかもしれない。それなら非常に滑稽だなあ。とうに時代遅れのへりくだりガチ勢を貫き通して、世の中から置いてけぼりにされてることにも気づかず、既に掌の中にある権利を探して土中を進んでいたのか。ほーん。あと50年くらいしたら、トイレ利用者よりもトイレの方が、客よりも店員の方が、ずっとずっと強くなって、「使わせてください(切実)」「買わせてください(懇願)」になってるかもね。まあそれはそれでどうかと思うけど、「使ってやってるんだ(居丈高)」「買ってやってるんだ(威嚇)」よりよっぽどマシだろう。たぶん。

 

 

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