奥歯が疼くので思い出話と身内の自慢話をする覚書|地震雷火事歯医者
じいちゃんはなかなか怖かったですね
15年前に他界した祖父は歯医者だった。小児まひのために通常の歩行が困難だった祖父の将来を心配したその両親から、「そうだ歯医者だ、ほら歯医者なら1日じゅう椅子に座って仕事ができるだろう、だからお前は歯医者になりなさい」と強く言い聞かされて、なるほどなあと思い、歯医者になったのだそうだ。すごい。歯医者という道を実現させた祖父もすごいが、歯医者という道を見つけてきた曾祖父母もすごい。
わたしがちぎりました(生産者表示)
医院は祖父母の住まいと直に繋がっていたから、小さい頃は休日の医院に潜り込んで歯医者さんごっこをしては怒られていた。薄汚れた茶色い小瓶がズラズラ並んでいたのは覚えている。治療時に使う綿をブチブチちぎって遊んでいたこともあったが、「どうせ使うんだからいっぱいちぎっておいてもらえると助かる」と祖母が言うので遠慮なくちぎりまくっていた。今考えると衛生管理ガバガバもいいところだなあ?あと、なんかめちゃくちゃレトロでおしゃれな窓があった。ファンタジーに出てきそうなデザインの鍵を使って開ける窓だ。祖父が現役を退いてからも、亡くなって10年以上が経過してからも、歯科医師会やらなんやらから祖父宛の手紙がバンバン届いていた。足腰の弱った祖母に代わってそれらを回収するのは、専ら孫の仕事であった。
一族の恥です
「1日じゅう座っていられるような仕事はないだろうか」からの「そうだ歯医者になろう」は、理にかなっているといえばかなっているかもしれないが、ぶっ飛んでいるといえばぶっ飛んでいる。祖父の場合はそのぶっ飛んだ先に、最高の着地点があったのだな。だって学力的な意味でも費用的な意味でも、医者なんてそう簡単になれるもんじゃないでしょう。祖父の時代の就学・就労事情ってどんな具合だったんだろう。大学進学率は今よりずっと低かろうし、祖父のような肢体不自由者の就労にしたって、今ほど支援が整っていたわけでもないだろうし。そもそもじいちゃんって今も生きてたら何歳なんだ?きっと曾祖父母の全力サポートがあったに違いない。それがあったから、じいちゃんは自分の子どもにもサポートを惜しまなかったわけだ。で、それがあったから、おかーちゃんは自分の子どもにもサポートを惜しまなかったわけだ。で、それがあったから……ええと……その……はい……私はフリーターをしています。ええ。
歯医者行けって言ってんだろ!!!!!!
私はそこそこ長じるまで虫歯1本ない健康優良児であったから歯医者にはほとんど縁がなかったし、そもそも興味自体がなかったのでそっち方面には進まなかった。ところが以前にも少し書いたように、不摂生が祟った結果か、なんとなくムズムズしていた奥歯がある日突然ポロリして、それ以来なんとも収まりの悪くなった奥のほうが、私に四六時中「歯」というものを思い起こさせる。子どもの頃、無邪気に走り回ったじいちゃんの病院。そこそこの年になって初めて虫歯になりビビりながら通った伯父さんの病院。この前聞いた、いとこが一浪して歯科大に合格したという話。ぐえーっ。おめでとう。歯に関するものごと全てが、私のやわらかいところに繋がっていて、それは美しい思い出だったり、苦々しい経験だったりするのだが、とにかく、その、歯医者さんは尊敬するけれど、まあなんだ、色々勘弁してほしい。
歯科衛生はクレームにも効く
最後に小話をひとつ。祖父が歯医者だった影響で、母は一時期歯科衛生士をしていた。ある日、母がパートとして勤めているスーパーにクレームが入った。なんでも、スーパーで買った惣菜を食べたら中に「異物」が入っていたとのこと。購入客は怒り心頭で惣菜の残りと例の「異物」を持って来ていた。そこには明らかに惣菜の中から出土しましたという体の、鈍く光る固い異物があった。怒り狂う購入客。ただならぬ雰囲気の店内。店長やチーフが今後の対応について相談している中、噂を聞いてやって来た母がひょっこり顔を出し、その「異物」を見るなり一言、こう言い放ったそうな――――『これ、虫歯治療に使うインレー(詰め物)ですよ』。
その後、秒で円満解決したそうです。よかったね。