草と秩序についての覚書|秩序の時間だコラァ!
ふっ、草生えますね
数日前まで立派に立っていたはずの家屋がある日きれいさっぱりなくなっていたのも驚きだが、その数日後に家屋のあった土地が草だらけになっていたのもまた驚きであった。梅雨時だし、そりゃあ放っときゃ盛んに草も伸びるだろうが、あまりにも伸びすぎだろう。すごいなあ草って。ところで、最近ではパソコンや携帯電話さえあれば人間も草を生やすことができる。特殊な才能がなくたって、誰でもだ。キーボードの「w」を連打すればそれであたり一面草だらけだ。やったぜ。ところで 草 は草と呼ぶのが主流なのに「w」は単 芝 って呼ぶのなんでなんだろう。
草ぁ
草はその生え方・生え時を自らの意思でコントロールすることは出来ないが、人間はそれらを自らの意思でコントロールすることが出来る。はずである。本来草を生やすべきでない場面で草を生やし、その場のノリで一面草だらけにするのは、意思ある人間には相応しくない。昨今のインターネットにおいては、そういう輩は「キッズ」などと嘲られ、精神的に幼い人物という不名誉な称号を与えられるものである。止むなし。しかし「キッズ」という名称も世の中のキッズに失礼なので、何か他にいい名称はないだろうか。こういう時、人間は既存の言葉に頼らざるを得ないのが歯がゆいものだ。「ペヨパニャポン」のような既にない言葉を造って、充てがうしかない。しかしそういった言葉は基本浸透しない。
つまりなにが言いたいかというと
シリアスなゲームのプレイ動画に草だらけのコメントするのほんとやめろぉ
シリアスという除草剤
ところがこのシリアスなゲームのプレイ動画もPart数が進んでいくうちにどんどん草を生やしたコメントが減っていき、ストーリーの中盤に達した頃には、ゲームの雰囲気を汲んだ感想コメントや核心をついた考察コメントで満たされるようになるので、コメント表示で再生するのをやめられない。つまるところあれらの草生やし族は、そこまで持ちこたえられないのだ。物語の最序盤、誰が見ても何が何だか分からないところを茶化すだけ茶化しておいて、物語が見えてくるに従って去っていく。シリアス濃度が高くなるにつれ、彼らは草を生やして茶化すことに耐えられなくなる。ここで彼らを精一杯擁護するならば、「あ、なんか茶化しちゃいけないゲームだこれ」と途中で気づき、静かに立ち去ることが出来るぶん、まだ理性があってよろしい。
スピードワゴンも大騒ぎするだけ大騒ぎして最後静かに去った感はあるけど後々にまで大きな影響を与えた名脇役だからインターネット草生やしマンも見習ってくれ
周囲の人間が揃って黙しているときにひとりで故意に大騒ぎするという行為は、なかなかできるもんじゃない。現実ではもちろんそうだが、インターネット世界においても概ねそうだ。ゲームの序盤、他のコメントが騒いでいるのを見て自分も騒ぎ、ゲームが進むにつれて周囲が静かになり始めたのを見て、自分も静かになる。こいつは人くせえッー!人以上でも以下でもないにおいがプンプンするぜッーーーーッ!!
大丈夫?秩序揉む?
インターネットの匿名集団に秩序を要求するのは実質困難である。だいいち私個人だって秩序的な人間ではないし、そもそも秩序ってなんぞやという話から始めなければならない。であるからして、もはや秩序はみんなで作り上げるものではなく、個人でめいめいに作るものと化しているのが現状である。端的に言えば「嫌なものは見ない」、具体的に言えばNG機能やフィルターを駆使して不快なものを見えなくしたり、ヘンなのに構わないようガン無視を決め込むことだ。こうして全個人が自分にとって完璧な秩序を作り上げたときに、かの麗しき「みんなの秩序」は一体どうなるのだろう。完全に失われる?失われはせずとも形骸化する?それとも、個人の秩序がみんなの秩序になる?イヤ待て待て、「みんなの秩序」なんてものがこれまでどこにあった?それは「ギリみんなの秩序に見える個人の秩序」に過ぎなかったのであって、じゃあこれからは「モロ個人の秩序」の時代がやってくるのかなあ。ねえ、個人、大丈夫?秩序できる?
秩序女子会
女神テミス、女神エウノミア、女神テフヌト、女神マアト、おーい、起きてたら返事をしとくれー。