珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

ポメラニアンをくるくる回しながら物事の順序について考える覚書|ぽめ

チョコミントアイスエイヤッ↑(/>_<)/

「頭が痛くて目が覚めた」のか、「目が覚めたら頭が痛くなった」のか、それを判断する術が私にはない。私にとって確かなことは「目が覚めた」「頭が痛い」この2点のみであって、どちらが先かを論ずることは、例のにわたま戦争(※)に今さら従軍するくらい虚しいことである。とはいえ、私とてごく単純な思考能力くらいは持ち合わせているので、上記の2点に加え、「すごく汗をかいている」「今の季節は夏である」「暑いのに背中がぞくぞくする」などといった断片的な状況証拠を足していくことで、結論を2つまで絞ることができた。すなわち熱中症を起こしている」か、「何かに憑かれている」の2つである。ひとまず頭痛薬を飲み、少々身体がしんどかったが冷を求めて真夜中のコンビニに行き、少し涼んだあとチョコミントアイスを買って帰った。家に帰って即アイスを食べた。30分もすると頭痛はおさまった。私は医者でも霊感ある者でもないので、結局熱中症か霊の仕業か判断することはできない。だがともかく、熱中症もしくは幽霊に、チョコミントアイスは効くというわけだ。覚えとこ。

「鶏が先か、卵が先か」という例のアレ。

 

まるでなかったことにされたkの気持ちも考えてどうぞ

たった今、「※」を出すために「こめ」と打とうとして間違えて「kぽめ」と打ってしまった。ぽめ。ぽめって字面可愛いなあ。なんてことはないただの平仮名2つなのに。ぽめぽめ。「ぽめ」という字面が可愛いのは恐らく9割方ポメラニアンなる存在が原因だろう。ポメラニアンはかわいい。それを平仮名にしたぽめらにあんもかわいい。だからその一部たる「ぽめ」も、なんとなくかわいい。この世にポメラニアンなる可愛い生き物がいなかったら、「ぽめ」という字面もそれほど可愛く思えなかったのだろうか。それともポメラニアンの有無に関わらず、「ぽめ」という2文字は、このころころとしたちょっとまぬけで愛らしい響きを保っていられたのだろうか。私の記憶からポメラニアンを消すことができない以上、考えたって分からないことだ。もしもこの世に猫がいなかったら、「にゃあ」という3文字に対する見方も変わってくるだろうし、猫ひろしも今と同じ「猫ひろし」ではあり得なかっただろう。

 

ポメラニアン

 「AゆえにBしたのか、それともBしたらAになったのか」とか、「Aゆえにaはαを持つのか、それともaはa単体でαを持つのか」とか、世の中には考えても一文の得にならない物事がたくさんあるなあ。これも記号で表したからそれっぽく見えているだけで。前者はまさに先ほど述べた「頭が痛いゆえに起床したのか、それとも起床したら頭が痛くなったのか」であるし、後者は「ポメラニアンゆえにぽめは可愛さを持つのか、それともぽめはぽめ単体で可愛さを持つのか」ってことだ。前者はさておき後者はほんと意味わからんな。物事は順序が大切というけれど、世の中には順序なんかどうだっていい物事の方がたくさんたくさんあるんだな。いや……ええと、それ自体も順序が違うな。物事は順序が大切なのではなく、大切なものがそもそも順序ある物事なんだ。全ての物事の順序を大切にしていたら人間パンクしてしまうでしょう。差し当たって順序ある物事だけ、大切にしていればいいのだ。何言ってんだ?

 

ベルトコンベアに乗ってても途中で脱線するような生き物ですよ人は

さて、私の人生は。「私の人生は大切なものであるがゆえに然るべき順序があり、その順序を誤ったためにひどいことになっている」のか、「私の人生は順序なんかどうだっていい瑣末な物事であり、最初から無いに等しい順序をくるくる入れ替えたところで結局ひどいことに変わりはない」のか。どっちがマシかって言われると、ウーン、個人的には後者の方が救いがあると思う。救いがないがゆえに、却って救いがあると思う。これからも、ポメラニアンとぽめをくるくる入れ替えるようにして、人生やっていこうと思う。

 

 

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