珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

よりにもよらない覚書|偶然の手にかかれば神様さえもひとひねり

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暑さからくる目眩と空腹でヨタヨタしながらコンビニにアイスボックスグレープフルーツを買いに行ったらものの見事に売り切れていたとき、世界は私を殺す気なのかとさえ思ったね。アイスケースの前で立ち尽くす私。これっぽっちも買う気のないアイスをおおむろに手に取ってはケースに戻す私。ちがうんだ。そうじゃないんだ。私はアイスを買いに来たんじゃなくてアイスボックスグレープフルーツを買いに来たんだ。今だけはアイスボックスグレープフルーツじゃなきゃだめなんだ。ウッ……うぐ……うぐぐ……

 

えーん(大人泣き)

 

あなたいつも「よりにもよってこんなときに」って言うけどそれがいつ起ころうとも結局は「よりにもよってこんなときに」って言うじゃないですか

人が「よりにもよってこんなときに」と思うような場面の8割くらいは、のちのち冷静になって考えてみると「よりにもよってこんなときに」ではなく所詮は「たまにはこんなときもあるよね」のひとつであるに過ぎないのだが、人はなぜあの「よりにもよってこんなときに」というスリリングな言葉を頭の中で多用してしまうのだろうか。人はというか私はだな。こういうのを、ええと、なんというんだったか。マーフィーの法則

 

神様に解かせよう(名案)

「偶然」は万人に平等かと訊かれても、当然、私はそれに答える術を持たない。夏休みこども科学電話相談にでもかけてくれ。あの人たちは何でも知ってるからな。もし偶然が万人に平等であるならば、それは一体どのようにして平等であるのか吟味せねばならないだろうし、また偶然が万人に平等でないならば、それは一体どのようにして平等でないのか調査する必要があるだろう。そんな方法があればの話だが。偶然を計測可能にするよりも、タイムマシンを開発する方がまだ易しいのではないかと思う。「問。そこにあるか無いか分からないナニカがそこにあるか無いか分からない箱の中に入っており、さらにその箱はそこにあるか無いか分からない部屋の中央にあるか無いか分かりません。箱の中には一体何が入っているでしょう」という問題を解くくらい、難しいんじゃないかなあ。

 

神様のたまたま

偶然はいつもどこからやって来てどこへ向かうのか。偶然どこかからやって来て偶然どこかへと去っていく偶然。偶然は何者からも支配されないように思われる。何者かの支配を受けた時点で偶然は偶然ではなくなる。偶然は何よりもまずそれ自体で存在している。動物や植物たちでさえ偶然にあずかっている。じゃあ神様も偶然にあずかっているのかな?「神様が偶然××をする」なんてこと、できるの?できるとするならば神様さえも偶然にあずかっているし、できないとするならば(※) その偶然は必然、「必然」となる・・・・・・・・・・・・・・・ のだろうし、おや、具合が悪くなってきた。エピクロス先生に喧嘩を売るような真似はよそう。偶然が不幸を伴うというのなら、なおさら。

※神様は全能なので「できない」もできると聞いたことがあるぞい。

 

大学進学を機に一人暮らしをすることになり「大学が近くて目と鼻の先にローソンがある」という理由で物件選んだのに入学してすぐ潰れたよね

大手コンビニは自社アプリを提供しているが、最もお得要素が充実しているのはローソンアプリだと思う。中でもクーポンの充実具合は他社を全く寄せ付けない。常温商品、冷食、デザート、コーヒーなどの20円引きクーポン(しかも使い放題)が常に提供されているし、月替わりでチョコレート菓子が無料で貰えるクーポンもある。Pontaポイントユーザー向けのお得な引換券もたくさん配信されているし、なんというか、こまめに覗きたくなるアプリだ。で、今は75円以上のアイスが20円引きという超魅力的な使い放題クーポンが提供されているのだが、なんということでしょう、家の近くにローソンがない。ファミマとセブンはあるのにローソンがない。最も近いローソンでさえ、確実に帰路でアイスが溶ける。20円のために買ったアイスを溶かしていたら元も子もないので、私にとっては実質意味のないクーポンと化している。ドンキで大安売りされているアイスも似たようなものだ。ドンキのアイス、めちゃくちゃ安い。でも帰路で間違いなく溶ける。だから私にとっては実質意味のない大安売りである。セブンもファミマもちぎって投げられるくらいあるのに、「よりにもよって」ローソンが家の近くにないなんて、こんなのあんまりじゃないか。こんなの……こんなの……

 

えーん(大人泣き)

 

 

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