珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

生活の質と私の質についての覚書|Queasy・Objectionable・Labor

白黒式QOLの上げ方講座

・持ちたくとも持てないときはさしあたって「あまり持たない主義」と言い張る

・何事もまず己の手持ちの範囲内で一旦仕上げておいてから、それでもなお必要を感じた場合にのみ、手持ちの範囲外から有用なものをできる限り少なく拝借する

・己の人生を前借りしても自由に踏み倒してよい

・使用可能な金銭が限られているのなら、それは出来る限り身の回りの不快を減らすために費やし、快なんぞはその辺の道端で拾えばよい

 ・家の中に己よりか弱いが己よりずっと偉い存在をひとつ置いておく(猫とか)

・ささやかな贅沢と呼ばれるものの多くはコンビニで手に入る

・機嫌がいい日はでっかいダイソーに行く

・夏場はシャンプーとボディソープをシーブリーズに変える

セブンイレブンのタルタルフィッシュバーガーを食べる

 

Q.O.L. 

生活の質ってなんだ生活の質って。そんな金さえ支払えば容易にどうとでもできるものについてウンウン唸りながら考えるつもりはないぞ。生活の質を向上させる方法。今より多くお金を払う。以上。それができない場合はどうすればいいかって?自分と自分の生活を一時的にきっぱり切り離した上で、自分の質を下げればよろしおす。そうすれば相対的に生活の質は上がるぞ。やったね。地獄の沙汰は金次第である。この世の沙汰も金次第である。よって地獄=この世である。Q.E.D。いや、Q.O.L。.

 

たいせつなものをすべて売ってマサラタウンで静かに過ごそう

生活の質が上がるってのは、一般的に見てそうあることを指すのか、それとも自分の中でそうあることを指すのか。仮に自分の生活を質屋かなんかにまるまる売り払うとして、その時に高い買取金額がつく方がいいのか、それとも値段が付けられずにに買い取ってもらえない方がいいのか。後者は価値がないという意味ではなく、ポケモンでいうところの、フレンドリィショップにたいせつなものを売ろうとして「そのどうぐは売るとゲームが詰むのでとても貴重なものなのでうちでは買い取れません」的なこと言われて買い取り拒否されるアレだ。たいせつなものは、ゲーム中で1つしか手に入らない。自分の生活も、ゲーム中で1つしか手に入らない。「100億円で買い取ります」と言われるよりも、「それはとても貴重なものなのでうちでは買い取れません」と言われた方が、ちょっと嬉しいかもしれない。

 

生活のために死ぬのはやめよう

ちなみに、私は今の生活の質に満足していない。というのも、生活の中にある物質的なものには概ね満足しているのだが、生活の中心にいる私の質があまりにも低すぎるため、物質的なものを巻き込むような形で総合的な質が落ちているからだ。先ほど「自分と自分の生活を一時的にきっぱり切り離した上で、自分の質を下げればよい」と言ったのは、まあつまりが、そういうことである。私と私の生活がくっついている限り、私の質が落ちれば私の生活の質も下がる。私と私の生活が離れていれば、私の質が下がれば相対的に私の生活の質は上がる。とはいえ、私と私の生活を切り離す方法はさっぱりワカランのだが、要は、自分自身のことを顧みずに自分の生活のことにのみ没頭するってことでしょう。そういうことやってる人、世の中に結構いると思うんですよね。それ、生活の質が自体的に向上しているんじゃなくて、ただただあなたの質が低下しているのよ。そのうちポックリ死ぬわよ。

 

人はいいことのために不善を為すんだから

いいことがない代わりによくないこともないような生活がしたいなあ。

 

 

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