珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

「くらし」がヘタクソな覚書|まずは掃除と片付けから始めましょうね

暮らし、いと暗し

そういえば、このブログで「くらし」について書いたことはあまりないなと思った。「くらし」っていうのは、今日はどこへ行ったとか、何を食べたとか、あれを買ったとか、これを観たとか、それを作ったとか、誰と会ったとか、そういうやつだ。元々このブログは日記ではないと考えていたし、過去の記事でも「今日は日記らしいことを書くぞ」とわざわざ宣言していたくらいであるから、そのような話題について書くことがなくても特段ヘンな気分はしない。そもそも普段から特別書くような場所には行かないし、特別書くようなものは食べないし、特別書くようなものは買わないし、特別書くようなものは観ないし、特別書くようなものは作らないし、特別書くような人とも会わないのだからしょうがない。ん。ああ、ええと……はい、今ちょっと見栄を張りましたね。正しくは、行く場所がないし、食べる楽しみがないし、買うものがないし、観るものがないし、作れるものがないし、会う人がいないんでした。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 日記を書く(強い意志)とか言ったわりには日記っぽさが半分くらいしかない

 

神様にだって内緒にしたいことのひとつやふたつあるよ

労働についてならしょっちゅう書いてるだろうって?やだなあ、労働は「くらし」じゃないじゃないですか。労働は「くらし」ではない。労働は断じて「くらし」ではない。労働を「くらし」に組み込むのは絶対にダメだ。あれは「くらし」なんかじゃなくて、身に覚えのないただの無期懲役だ。人類が一体何をしたというのか。我々は我々の気づかぬうちによっぽど酷い罪をやらかしていて、それゆえに人類が滅び終えるまで刑に服する羽目になったのだろうなあ。禁断の果実を食べた彼らが可愛く見えてくるほどの酷い罪を。大方、誰かが神様の㊙ノートを覗き見でもしたんでしょう。それで、読んでるこっちが恥ずかしくなるようなあんなことやこんなことが書いてあるのを見て、べらべら言いふらしたりでもしたんでしょう。神様が知られて恥ずかしいことってなんなんだろうな。「実は存在しないんです」とかかな。

 

今すぐ元の場所に戻してきなさい!

 ひとりぐらしを初めて10年が経過したが、ちっとも「くらし」が上手にならない。もう長いことずっと行く場所がないし、食べる楽しみがないし、買うものがないし、観るものがないし、作れるものがないし、会う人がいない。まるで成長していない。これじゃひとりぐらしじゃなくて、ただの「ひとり」じゃないか。私は長年ひとりぐらしをしていると思いこんでいたのだが、その実やっていたことはただの「ひとり」であったのだ。「くらし」の方はどこに落っことしてきたのやら。もし私の「くらし」を拾った人がいたら、お礼はするので連絡ください。きっとばっちいでしょうから、拾った場所にポンと戻してその場所さえ教えてくれたら、私が取りに行きますので。2つも「くらし」を抱えていたら大変でしょう。体はひとつしかないのにさ。

 

くらし、いとくら

 「くらし」をやっている実感がほしいなあ。それにはやはり人間らしいことをするのが不可欠だ。人間臭いことと言い換えるべきか。暮らすことなら人間以外の生き物にもできるが、「くらし」をやるにはやはり人間でなければ、などと考えるのは人間の傲慢だろうか。犬には犬の「くらし」が、猫には猫の「くらし」があるのかもしれない。人間だって、やろうと思えば犬猫のように暮らすことはできるだろう。だが犬猫の「くらし」までは真似できないだろう。逆も然り。わんわん。にゃーん。

 

 

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