珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

世界が終わる日のコンビニについての覚書|近頃はスーパーの広い売り場を見て回るのがマジでしんどくてヤバい

夜が降りてくる

盆休み。コロナ禍。大雨。AM2時。あれほど終焉にお誂え向きな夜もなかっただろう。盆休みで大学生も仕事帰りの会社員も全然来ないし、時短営業で周辺のファミレスも居酒屋もみんな真っ暗だし、大雨ざあざあ降ってて通りは誰も歩いてないし、夜中の2時だし。あと数時間でこの世が終わりそうな夜に、コンビニの軒先でのんびり一服するのも悪くなかった。今日この世が終わるとしたら、最後の最後まで営業を続けるコンビニは一体どのくらいあるだろう。最近は台風で営業中止するコンビニも増えたから、きっとそう多くはないだろう。最後の瞬間を迎えるのに、コンビニという場所は案外悪くないと思った。客がいない深夜のコンビニはまこと退屈だが、状況によっては独特の風情があるのだ。特に先日のような、あと数時間でこの世が終わりそうな夜なんかには。

 

Let's go to コンビニエンスストア

コンビニ。こぢんまりした建物の中にひとの生活がぎゅうぎゅうに詰まっている。世界が終わる日のコンビニはどうなっているだろう。最後の食事や最後の一杯を求めてやってくる客で溢れかえっているだろうか。最後の日くらい、ストロングゼロじゃなくてもうちょっといいもの飲みなさいよ。それともみんなやりたいことをやるのに精一杯で、コンビニなんか行ってる暇はないのだろうか。店員はどうだろう。世界が終わる日にシフトに入れられてたら、ウーン、ちょっといやかもしれないけど、私みたいなのは出勤日でもない限り人と人との間に挟まる機会がないもので、それを考えるとちょっとはいいのかもしれない。カーテンを閉め切った自室でひっそり最後を迎えるよりも、明かりが煌々と輝くコンビニの中で、ひとの暮らしがぎゅうぎゅうに詰まったコンビニの中で、人生のうちで数え切れないほどお世話になったコンビニという建物の中で、アイスケースにでも凭れながら、店の外の街並みや夜空をのんびり眺めつつ消えていく方が、趣があるかもしれない。

 

現人貧乏神

コンビニで千円とか2千円とか買っていく客を見るたびに、すげえなあ、金持ってんなあ、って思う。仕事帰りっぽい人たちならまだしも、学生さんでも普通にそれくらいバンバン買っていくもんな。フム。フーム。この場合、「金持ちになりたいとは言わないからコンビニで平然と2千円買い物出来るような人間になりたい」というのが正しいのか、「コンビニで平然と2千円買い物出来るくらい金持ちになりたい」というのが正しいのか。仮に毎日2千円使ったとして、だいたい6万円。あれ、6万って書かれると大したことないように見えるな。いやまあ十分大きい金額だけど。6万ポンと出すのは年に1、2回くらいなら私にだって出来るだろうけど、1ヶ月間コンビニで毎日2千円出すのはとてもとても出来そうにない。コンビニで毎日2千円のハードルが高い理由、私の場合は金銭的な問題というよりも、毎日2千円分も欲しいものがないという問題の方が大きい気がする。何を買えばいいんだ。コンビニで。2千円も。たとえ「コンビニで」という制限がなくなったとしても、毎日2千円も何かを買い続けるのは至難の業だなあ。

 

メンマ

コンビニの棚を眺めていると、人間が一体どういったもので生活しているのかがひと目で分かるので勉強になる。あ、どうも神です。貧乏神です。今はコンビニに来てます。ついこの間までここの売り場はあったかい麺とあったかい飲み物と使い捨てカイロで溢れ返っていたというのに、もうつめたい麺とアイスクリームと制汗剤で溢れ返っていますよ。人間は忙しいですね。それにしたって、人間にはたくさんのものが必要なのですね。例えばこのメンマってやつ、私も気に入っていますが、コンビニに置いてあるということは、これも人間の生活に必要なものなのですね。メンマは、人間の生活に、必要。神覚えました。コンビニという場所は、人間の生活に必要なもののエリートが集まっている場所と聞いています。彼らはみんな、エリートなのですね。

 

まあそれはそれとして

自分は深夜のコンビニにふらっと入るのが好きなくせして、自分が働いている深夜のコンビニにふらっと入ってくる客を見るとええい忌々しいみたいな気持ちにしかならないのは本当愉快ですね。全ては洗い物ってやつのせいなんです。ハァ。もっと深夜のコンビニにふらっと入ってくる客に優しい店員になろう。私だって普段は、かの忌々しい客のひとりなんだから。

 

 

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