思索の海から零れ落ちたものたちの覚書~その3~|リサイクルすればするほどリサイクル費用で赤字になっていくアレ
没文章を捨てずに保管しておくと記事執筆のモチベが低いときなんかに使えて便利ですよ!
疲労が蓄積すると没文章が溜まっていくのは必然の理である。途中で自分が何を書いてんだか分からなくなるからである。とはいえ、それを没にするだけの冷静な判断力が残っている点については己を褒めてやりたいものだ。私の場合、ある文章が没になる大抵の理由は「そこが不出来だったから」ではなく、むしろ「そこから続く文章がどう頑張っても不出来にしかならないので、元となる文章も廃棄せざるを得なかった」パターンが大半である。見方を変えれば、「そこだけはどうしても書いておきたかった」と取ることもできる。書きたくて仕方なかった部分を取り敢えず書いたはいいが、計画性のなさ故にどうにも上手く文章を展開させることができなかった。わざわざ没文章専用の下書きに入れて保管しているところがその証拠だ。以下、「そこだけはどうしても書いておきたかった」文章の掻き集めになります。なるほどそれなら素晴らしい文章が揃ってるんだろうなあ!?楽しみだなあ!?!?
とある半分のチーズバーガーにチーズが含まれているのなら、その全体のチーズバーガーにもチーズは含まれているだろうが、一口目のチーズバーガーにチーズが含まれていなかったからといって、その全体のチーズバーガーにチーズが含まれていないとは限らない。バーガーの一口目はだいたいバンズだけで終わるタイプの人間です。
頭チーズバーガーですね
おねえさんらしいことは何ひとつできないが、かといっておばさんらしいことをするにはまだ少し早いような気がする。今の私がもっとたくさん持っていればもう暫くはおねえさんでいられただろうし、もっとたくさん捨てていれば皆よりも一足早くおばさんになれたのだ。
この文章は昨今のセンシティブなアレコレに照らし合わせれば些か問題があるかもしれないな。おばさんがおねえさんより持っていないとは限らないではないか。確かに歳を取れば取るほど手放していくものも多かろうが、逆に歳を取らねば拾えないアイテムだってあるのだから。この場ではカギカッコ付きの『おねえさん』『おばさん』、もしくはカタカナの「オネエサン」「オバサン」という表現を用いるのが相応しかろう。それを踏まえて再度考えるならば、わたしはおねえさんでもなければおばさんでもなく、また『おねえさん』でいることもできなければ『おばさん』になることもできない、どんな呼称も似合わない、まこと宙ぶらりんの肉の像であることよなあ。
もしも私がなろう系小説を書くとしたら、そうだなあ、「稀代の最強天才魔術師、フリーター(時給950円)に転生する」とかでいいんじゃないか。「前世では最強天才魔術師だったんだ」が口癖で、その電波すぎる発言から当然周囲からは距離を置かれ、現代の生活にも馴染めず孤立し、やがて生活費に困るようになり、身体を壊して公的援助で生き延びながら、最終的にボロアパートで68歳くらいでお陀仏するのだ。前世でとった杵柄でやっていけるほど世の中甘くないってことだな。フフフ。ああそうだ、お金は貯められるだけ貯めておいた方がいいですよ。お金って、結構便利ですからね。
一般人が異世界転生して無双するのがなろう系なら、異世界人が一般世界転生して零落するのは対偶なろう系と呼ぶべきなのだろうか。私が65歳くらいになったら自叙伝として執筆してやらんでもない。ただ、1本仕上げるにはそれまでに最強天才魔術師としての経験をしておかなきゃいけないところが難点だな。やっぱり今のうちにこの本買っといた方がいいんじゃないですか?
好きな曲の歌詞中のら抜き言葉が気になる。
そう……
濡れたスニーカーを乾かすために扇風機を回したら風邪を引いた。ウン。これ毎年やってるな。梅雨の風物詩「濡れたスニーカーを乾かすために扇風機を回して風邪を引く」。ウン。本当に毎年やってるな。来年は自室じゃなくて玄関で回そう。ウン。
扇風機回すと確定で風邪引くんだけどほんとなんなんだ。1度くらいは扇風機に勝ってみたい。扇風機を回しても風邪を引かない夏が欲しい。私の夏は、あと何回残されているんだろう。
寝るという意志が強すぎる。
そう……
良い本を読んで、その中の知識と自分が調和するには?「身の丈に合わない本を読んでいる」と指さされない人間になるには?そもそも身の丈に合う本ってなんだ?はらぺこあおむしとか?
偕成社に怒られるぞ。
成功しなかった人間が説く成功のための秘訣など誰も聞きたくないだろうが、成功した人間が説く成功のための秘訣というのも、それはそれで聞きたくない場合があるものだ。私は常に聞きたくない。あなたいつまで経ってもそんなんだから成功どころか成功のための取っ掛りすら見つからないのよ。現代人は成功者から学ぶように宿命付けられているの。人間に限らず生命あるものの宿命として、成功者から学ぶように出来ているから。我々人間から、動物から、植物から、それらを組織する細胞に至るまで、「うまくやって生き残った者が勝ち」。一方で失敗者に対しては、そう、失敗者に対しては……失敗者からも……学ぶように出来ているのよ。失敗者の屍も無駄にしちゃ駄目なの。最もクソなのは成功も失敗もしない人間人間以外の生き物界においては失敗は死とほぼ同義なので、これだけ毎日失敗しても生存を許される現代人ってめちゃくちゃ甘やかされてると思う。神に。そんな人間もほんの少し前までは失敗=死であっ
ここで文章が途切れてると私が勝手にフラグを立てた挙句に何かしらの「失敗」が起こって勝手に死んだように見えてウケる。上記の文章をまとめるに、成功は人類の栄養で、失敗は人類の養分であるとでも言おうか。それでも、養分にすらなれずに初めから人類のウンコでしかないよりはずっとマシなんだろう。成功に憧れながら失敗を恐れて何もしないというのがそうだ。何もしないのがウンコだなんて、まったく失礼な物言いだな。ウンコに対して。
今日、人間社会のおえら方から新しい化け物の世話を頼まれた。人の皮を被ったゴリラのような奴だ。他店で警察を呼ばれて出禁食らったってんで、うちにも入れませんねと言ったら、奴、何もしてないのに警察を呼ばれたとか理由も無いのに出禁になったとか喚いたあげくやっと帰りやがる。
頭バイオハザードですね