珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

人も歩けば生まれて初めてにぶち当たる覚書|生まれて初めて天地を創造した際の神の気持ちを答えよ(200字)

きっと何かとんでもないもの、もしくはとんでもなくないものを見たに違いない

アラ還サラリーマンの口から出る「生まれて初めて」が重すぎてバスの中でえずきそうになった。夜勤を終えて帰るバスの中、毛髪がソーシャルディスタンスしているスーツのおっさん2人が何やら楽しそうに会話をしていた。大部分はバス内外の騒音にかき消されて何について話しているのか分からなかったが、バスが停まってたまたま聞こえたセリフが、こうだ。「いやァ、あんなん見たの、俺生まれて初めてだったわけ」。

 

おっさんの初めてって言い方なんかアレだな

「初めて」ではない。「生まれて初めて」と。私は半ば反射的に、頭の中で、生まれたばかりのおっさんを思い描いた。生まれたばかりのおっさんってなんだよ。それから、私の想像の中の生まれたばかりのおっさんが今のおっさんになるまでの過程、そのテープを超高速で早送りした。テープが終わろうかという頃になってようやく、おっさんが「あんなん見た」場面が現れる。おっさんが一体何を見たのかは分からない。60年目の初めてって、どんな具合なんだろう。私は恐らくあなたの半分くらいしか生きてないけれど、どうだろう、0年目の初めてと、10年目の初めてと、20年目の初めてと、30年目の初めてと、40年目の初めてと、50年目の初めてと、60年目の初めては、やっぱり味が違うのかしら。

 

生まれて初めて2021年8月●日をやっていますが

私は死ぬまでにあといくつ「生まれて初めて」を経験できるんだろう。無さすぎるのも困るが、有りすぎるのも困る。生まれて初めて味わう食べ物。生まれて初めて見る光景。生まれて初めて聴く音楽。生まれて初めて訪れる場所。生まれて初めて体験するテクノロジー。私を一発驚かしてやるために、茂みから飛び出す機会を今か今かと伺っている数々の「生まれて初めて」たち。今のうちはまだいいとしても、20年後、30年後、確実に私を襲い来るであろう「生まれて初めて」に耐えられるだろうか。例えば生まれて初めて食べた外国料理の味にびっくりして、心臓止まって、そのままポックリ死にやしないだろうか。

 

生まれて初めて死にました

人間は生まれたから死ぬまで「生まれて初めて」に追い掛け回されながらやっていくんだと思うとドキドキする。残念ながらこのドキドキはあまりいい意味ではない。現状なんか、まさに最たる例だな。世の中がこんな状況になってるの、ほとんどの人にとっては「生まれて初めて」に違いない。犬も歩けば「生まれて初めて」に当たるような環境で、人は生きている。ただ、歩いてそれに当たったのが本当に犬だった場合、犬はそれに対応できずに死んでしまう可能性が大いにある。犬だけではなく、猫も、鳥も、虫も、魚も。人は「生まれて初めて」に幾度となくぶち当たっても、わりと生き残れる。これってトリビアになりませんか。

 

あっ、これ前世ゼミでやったやつだ!

襲来する「生まれて初めて」に対する心構え。迎え撃つ姿勢。そういったもののお手本は、もはや前世から引っ張ってくるしかないようだ。前世で予習したからバッチリですよって、一度でいいから言ってみたい。その理論で行けば、今世は来世の予習期間に当たるわけだけれども、なんせ今はこんな代わり映えのない生活ですし、あんまりいい予習はできそうにありません。おそろしく質の悪い教材で予習してる感じ。自分の人生のことを「おそろしく質の悪い教材」って呼ぶの、なんだか惨めだな。前世ゼミ、フリーター講座。

 

 

f:id:shirokuro_044:20210821065041p:plain