戦国の世におフランスがはみ出す覚書|戦国人だってサボるさ にんげんだもの
今週のお題「サボる」について一言
戦国時代を舞台にした小説で登場人物に「サボってんじゃねえ」と言わせるのはやめよう
ボンジュール
持論として、作品の雰囲気さえ壊さなければ古代や中世のキャラクターが近世や近代に生まれた言葉を使っていても特別問題ないと思っているのだが(そもそも私は言語学者ではないし昔の言葉に詳しいわけでもない)、信長世代の口から出る「サボる」には流石の私も苦しいジャッジを迫られた。私はものを知っているように振る舞いたいわけではないし、読者様になりたいわけでもないのだ。ぐぬぬ。でも「サボる」という文字列からは、もうほとんどおフランスがはみ出しているじゃありませんか。おフランスしまってしまって!
古文は今でも好きだよ ほら古事記とか読むし
この「しまう」というのも、少し調べたが室町時代くらいからありますよーという解説がいくつか出てくるくらいで、じゃあ室町時代のどの史料から出てきたのという具体的なソースにまでありつけなかった。大半が「『す』の連用形+『舞ふ』」という解説をしている中で、「(少々特殊な)『占む』の未然形+継続・反復を表す古語助動詞『ふ』」という解説をしているサイトもあり、ほほーんとなった。その解説のソースは恐らくどっかの辞書らしいのだが、どの辞書かは書かれていない。ウーン、そこがいちばん知りたいんだよなあ。だって、「ソースは私の頭の中の辞書です」とか言われたら、たまったもんじゃないでしょう。
この情熱を現役学生だった頃に活かせりゃよかったのに
さらに調べたところ、継続・反復を表す古語助動詞「ふ」は奈良時代までしか使われておらず、上のは厳密に言えば接尾辞「ふ」にあたるらしい。継続・反復を表すという役割は同じままだ。ウン?助動詞と活用する接尾辞の区別、アホには難しい。そもそも、「舞ふ」ってのは能や狂言との関連ありきな気がするんじゃが。とうとうこんな論文まで読み始めたわけだが、なんだかどうでもよくなってきたのでこの話はここでしまいにします。
http://repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/2704/1/ZO30101-004.pdf
汚いたとえだなあ
ところで、えー、一体何の話だったか。今週のお題「サボる」であったな。ああいけないいけない、もはや恒例となった「今週のお題にいちゃもんをつける」という義務を忘れていた。えーと、えーと……ああ、ブログの編集画面の上部を見ると、「ブログをサボらず書いているあなたへ」とあって、そこから今週のお題ページに飛べる。「ブログをサボらず書いてるあなたへ」とはしていない点については、花丸だ。さすがはてなブログだぜ。だが、いざお題に挑もうとして、「ブログをサボらず書いているあなたへ」と言われると、少々尻込みしてしまうのではなかろうか。この「珈琲三杯」も、かつては毎日更新していた時期があった。しかし、自分で言うのもなんだがほとんどの記事においてそこそこの内容をそこそこの分量で書いていると思っているので、毎日更新はなかなか厳しい部分があり、やめた。じゃあほどほどの、500~800字程度の記事をちょこちょこ量産すればいいじゃないかと思われるかもしれないが、それだとなんというか、帯に短し襷に長しなのだ。書きたいことをすべて書くには短すぎるし、結論だけ書くにはむしろ長すぎる。そもそも書くからには全部書き出してしまいたい性分なので、変に要約して書くくらいなら終盤船を漕いででも長文を書くか、書かない方がマシだと思っている。なんというか、ウンコしてる途中で切り上げてって言われるようなものなんですよね。切り上げられるか~い、みたいな。
だってわたし プ ロガーじゃないしチーズバーガーも買わないもの
「サボる」ってのは、「やらなきゃいけないことを放棄する」というニュアンスで使われる言葉でしょう。尻込みの原因はそれだな。ブログなんてのは、契約して金もらって書いてるプロブロガーであるとか、読者に向かって毎日更新をアピールしているとか、守れなかったら罰として記事の総数ぶんマックでチーズバーガー買いますと宣言しているとかでもない限り、やらなきゃいけないことでもなんでもなくて、やりたいときにやればよい。「好きなことを仕事にすると人生楽しい」という意見にすら賛否両論が噴出するような世の中なのだ。「好きなことを義務にすると人生楽しい」かどうかも、結局は本人次第。我々一般ブロガーがその点について苦心する前に、はてなブログに「書くことがより楽しくなるブログサービスの提供」をお願いしておいて、実際に書くかどうかはそのあとのんびり決めようじゃないか。