珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

カニカマについての覚書|私がカニカマに勝てる要素ある???ない

イミテーションクラブスティックってなんかの必殺技みたい

まあ実際はカニカマなんですけど

 

もしかして:一人芝居

 キェルケゴール先生の云う「自分で見つけだしたところの自己」に至ることがそれほどまでに難しいというのなら、いっそ自分の偽物にでもなって満足するしかない。普段は自分の本物と自分の偽物はバチバチの対立関係にあるが、その利害が一致するような場面に限れば協力も辞さない。某田武よろしく、それは劇場版・自分の偽物だ。自分の偽物が自分の本物に向かって「ここは俺がお前の振りをして時間を稼ぐ、ここから先は本物であるお前にしかできない仕事だ」なんて言って敵の足止めと攪乱を引き受けるような展開、胸熱じゃないですか。それでしばらくして、本物の耳に一報が入るわけですよ。「白黒れむは死んだ」と。もちろん敵方は偽物のことを本物だと思い込んでいる、まさか今しがた倒したそれが偽物だったなんて思わないわけですから、敵方からすれば「大将討ち取ったり」で浮かれムードなわけです。偽物の訃報に奥歯を食う暇もなく場面はクライマックス、討ち取ったはずの人間が生きていたことに敵方は混乱を見せるも、そこでいよいよラスボスが出てくる。ラスボスの圧倒的な力の前に敗北しそうな本物、そこの颯爽と現れるひとつの影。なんてこった!偽物のやつ、生きてやがったのか!……とまあ、ひとつそんな具合でお願いしますよ。

 

コンビニでパンの次によく買うカニカマ

上の妄言における偽物ちゃんのカワイイところは、自分がちゃんと偽物であることを自覚しているところだ。自分こそが本物であると主張してくるタイプの偽物はあんまり好きじゃない。己が偽物であることを認め、かつ偽物であることに誇りを持っているタイプの偽物が好きだ。偽物には偽物にしかできない仕事があると分かっているから。カニカマは本物のカニにはなれないが、カニカマにはカニカマの仕事がある。考えてもみろ、本物のカニがドンキの冷蔵食品売り場に税抜き69円で並ぶなんてこと、できるか?できっこない。カニカマだからこそ、できる。それはカニカマにしかできない仕事である。

 

ちなカニ

白状するとわたくし週3くらいでカニカマを食っているのだが、ドンキのカニカマはびっくりするくらい食感がツルンツルンしており、味の方は、なんというか、カニを再現するのに全力を出しすぎてカニをオーバーしてしまったカニの風味がする。コーラ味を再現しようとしてめいっぱい力んだ結果コーラを超えてしまったコーラ味のグミとかよくあるでしょ。あんな具合。人工のカニカマって感じ。つまりが、人工の人工のカニである。

 

ところがカニカマが万能なのに対し私は無能なんですよね かなしいなあ

 私が私の本物になれないというのなら、私は私の偽物として、偽物にしかできない仕事をやってみせようじゃないか。ともすれば茶色くなりがちな練り物売り場で一際目立つ紅白、そう、あのカニカマのように。私は私の在りたいようには在れないだろう。きっと掠りもしないだろう。だったら在りたい私の偽物になるぞ。在りたい私には到底及ばないけれど、庶民的で、親しみやすく、アレンジが利いて、手頃なお値段で、まあそこそこおいしい私になるぞ。それで十分じゃないか。いつか料亭のカニ連中に見下されて馬鹿にされても、「で?お前ら萎びたレタスの上に乗ったことあんの?やっすいごまドレッシングと和えられたことは?コンビニで買った食パンの上でチーズと一緒にトーストされたことある?」って言い返してやろう。ハァ~カニ食いてえ~。あっ違います違います。カニカマ食いてえ~。

 

 

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