珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

得にあらずんば人生にあらざるかもしれない覚書|平時忠(たいら の ときただ)は平安時代末期の公家。桓武平氏高棟流(堂上平氏)、兵部権大輔・平時信の子。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

おやおや

もしかして、人生って得しなければ損なのでは?

 

時忠くんどう思う?

「得しなければ損」。この理論は言うなれば、満タンでないなら空っぽ同然とか、金持ちでなければ貧乏同然とか、100点獲れなければ0点同然とか、プラスでなければマイナス同然とか、平氏にあらずんば人にあらずとか、そういったものたちの同類である。まあそれはいいとして、実際、得にあらずんば人生にあらずみたいな感じなんですかね。「これといった得はないがこれといった損もなく、平和に穏やかに慎ましやかに生きられたのなら最終的にその人生は得である」という理論は、間違っているんですかね。「本人が満足しているなら得」vs「何かしらの基準と照らし合わせて損」、ファイッ!

 

この人最近コーラン(岩波文庫)読み始めたくせにこの体たらくですよ

最近、この期に及んで、まったくこの期に及んで、得したいという邪な思考が首をもたげてきた。なぜ今頃になって?得の有る無しなんてかなりどうでもいいが、損の有る無しにはめちゃくちゃ神経を使う、そういうタイプだと思っていた。得はあるが損もあるくらいなら、得がなくて損もない方が100倍マシだと思っていたのだが……ウーン、最近どうにも得をしたい。得をしたいんだ。私にとっての得ってなんだろう。そうだなあ、我慢せず、気兼ねせず、なにひとつ後ろめたいことなく爽やかな気持ちでたくさんの本を買えたら得だろうな。うん。

 

得は必ずしも手で掴めるものとは限らない

たくさんの本を買うにはたくさんのお金が要る。で、本を買うからには当然私はお金を払う。ここだけ切り取ればただの等価交換である。「お金を渡した」「本を受け取った」この時点ではまだ得は発生していない。いや、この時点で もう・・ 得は発生していないと言うべきだろうか。等価交換を終えた時点ではまだ私は中身を読んでいないわけだし。得が生じるポイントは先ほど書いた「我慢せず、気兼ねせず、なにひとつ後ろめたいことなく爽やかな気持ちで」という、ここ。そう、ここ!ここが得ポイント!「また衝動買いしちゃったなあ」とか「代わりにどこかで節約しなきゃなあ」とか「積んでる本がまだあるのになあ」とかそんなことを一切考えなくて済む、そこに私の得がある。そういう感じの得がね、欲しいんだよね。そういう感じの得がたくさんあれば、きっと人生においても損しないと思うんだよね。

 

大学生の頃、教授が「暇なときはwikipediaで自分の専門分野の項目を編集してるけどすぐにデタラメな修正してくるやつがいるのほんとムカつく」って言ってたしなんだかんだwikipediaはすごいひとたちの手で成っているんだな

そうだ、平時忠の名誉のために一応補足しておくと、あの言葉は「人間でない」というよりも「出世できない」くらいの意味で言われたものだとか、そもそも時忠くんが発言したとされる史料的根拠が存在しないとか、そんな説もあるらしい。ソースはwikipediaだが、wikipediaのソースは下の本らしい。時忠くんはわりとどうでもいいけどこの本はちょっと読みたいぞ。wikipediaのいいところは、出典が明記されてるところ。根拠不十分のときはちゃんとツッコミが入るし。なんか面白い本ないかなあと思ったら、wikipediaを適当にサーフィンして、興味を持ったページ下部の「脚注」から面白そうなタイトルの本を探してみればいい。wikipediaくんは実質ブックソムリエだからね。とりあえず「へえ~」って言わせたもん勝ちみたいな有象無象の 薀蓄うんちく サイトと大きく違うところ。出典をきちんと明記している薀蓄サイトは学問サイトとか知識サイトとか呼んで区別するべきだ。まあ有象無象の薀蓄サイトのソースってだいたいwikipediaだけどな!ワハハ!全ての道はwikipediaに通ず。

 

今日の得

セブンのとみ田監修冷し豚中華芝麻醤仕立てが美味すぎて得

 

 

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