珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

実在しないバナナの皮ですっ転ぶ覚書|そんなバナナ

世界は図体がデカい割に人間より多少謙虚だし誠実だと思う

世界は一刻も早く私を安心させることに尽力してほしい。そうすれば世界だってきっと安心できるだろう。私みたいなのが、日々に対する不安から、世界に対して変な行動を起こす心配がなくなるっていうメリットがあるじゃないですか。世界はもっと積極的に私へ安心を与えることで自らの安心を確保すべきなんじゃないかな。私の安心は世界の安心、世界の安心は私の安心だ。人間も人間同士で同じようなやり方をとってきたが、ほら、人間はこちらがいくら安心を与えようが相手からいくら安心を受け取ろうが、一向に安心できない生き物でしょう。人は今にも崩れそうなギリギリの安心の上でタップダンスするのが本当に大好きだな。お前が今タップダンスしなかったら、あと1年くらいはなんとか維持出来ていただろうにっていうギリギリの安心の上で、平気でタップダンスするからな。ああ崩れる!崩れる!やめろ!人間は崩れた地面の上で生きられるほど強くないだろ!

 

非実在はそこに在ります

たとえ現状抱えている一切の不安が私の中から取り除かれたとしても、一切の不安がないことに不安を覚えるような生き物が私なのだ。不安があるのは当然不安だが、不安がないのもそれはそれで不安なのである。それに、実在の不安に対してはわりかし現実的な対処を取りやすいが、非実在の不安に対しては実在のそれと同様の現実的な対処を取りづらいという点も実に厄介。もしもそこに実在するバナナの皮が落ちていて、このままでは私がそれを踏んで滑って転ぶかもしれないという不安を覚えているのなら、そのバナナの皮を拾ってゴミ箱に捨てればよい。では、非実在のバナナの皮は?非実在のバナナの皮を、私は一体どのようにしてゴミ箱まで持っていけばよいのか?どのようにして捨てればよいのか?そこに間違いなく実在する・・・・・・・・・ 非実在を、私は一体、どうすればよいのだ?

 

ここでボケて

すてん(バナナの皮で転ぶ音と「捨てない」=「捨てん」を掛けた高度なギャグ)

 

グーはチョキに強くチョキはパーに強いのならパーはグーに強くないとじゃんけんシステムが成り立たないだろいい加減にしろ

近頃は非実在のバナナの皮で転んでばっかりだ。もちろん、実在するバナナの皮で転ぶことも忘れちゃいないが。今まさに実在するバナナの皮で転ばんとしているときに感じるのは怒りだが、非実在のバナナの皮で転ばんとしているときに感じるのは恐れだ。これはまったく純粋な恐れだ。怒りであればバナナの皮そのものなりバナナの皮を捨てた人物なり愚かにもそれを踏んづけた自分なりにぶつけることができるが、恐れをバナナの皮にぶつけることはできない。そもそもぶつけるためのバナナの皮が非実在なのだからぶつけようがないのだけども。怒りはバナナの皮に強く、バナナの皮は恐れに強い。じゃあ、恐れは……恐れは、怒りに強いのかな?そんなことはないなぁ!?(やけくそ)

 

人間ちゃんそういうの得意でしょ

目に見えない不安ですっ転んで、手で触れない不安ですっ転んで、そこに実在しない不安ですっ転んでいる人間は、傍から見ればなんにもないところで突然すっ転ぶ妙なヤツなのだ。真っ平らな地面で突然つまづく人は現実でも結構見かけるし、私もよくやるのだが、そうではなくて、真っ平らな地面すらないところですっ転ぶのだ。歩いていないし、ましてや走ってもいないし、それどころか地に足すらついていないし、それ以前に足をつける地面すらないのにすっ転ぶなんて、ほんと器用なやつだなあ。飛んでいる鳥が地面の石ころにつまづく方法があるのなら是非ともその光景を拝んでみたいし、這っているミミズが上空から墜落する方法があるのなら是非とも実演してもらいたいものだ。

 

結局非実在のバナナの皮で転ばないようにするためには

バナナそのものを滅ぼすしかないのね。

 

 

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