珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

世界の面倒を見る覚書|病病看護

あれもこれも全部世界ってやつのせいなんだ

休みの日は書くことがこれといって思い浮かばないし、日がな一日頭がぼうっとしていけねえや。休みの日に寝すぎてしまうのは私が疲れているせいであるし、私が疲れているのは……ああそうそう世界、世界のせいであるのに、毎回毎回寝すぎ頭痛に襲われて貴重な休みの日をウンウン唸りながら過ごす羽目になっている。それっておかしくないかな。疲れて横になったはずなのに起きたら疲労のおかわりで口の中がいっぱいになっているんだ。神様は寝ている人間の口の中に腐ったうどんの替え玉を詰め込むのが趣味なのか?本来なら、頭痛でウンウン唸りながら休みの日を過ごすべきなのは世界の方なんじゃないかな。それが因果ってものでしょう。それかせめて半分はその責を負うべきじゃないかな。おーい世界、「頭痛」半分こしようぜ!お前「痛」な!

 

やさしさじゃ頭痛は治らねえんだよ

おやまあ可哀想に。お前はどんなに痛くても絶対に寝られないからねえ、しょうがないねえ。そしたら……アレだね、薬を飲むしかないねえ。おっと困ったねえ、薬を飲むための口がないねえ。じゃあ尻から……ってケツもないのかよ。ジーザス。世界にクソが停滞している理由がよくわかったぜ。お前は具合が悪い時いつもどうしてるんだ。やさしくしてもらってるの?誰から?少なくとも人間からじゃないよね?金星おねえさんに膝枕してもらったりガイアママに痛いの痛いのとんでけしてもらったりすんの?私らはよくて太陽おじさんに焼き尽くされたりカーリーおばさんに踏んで頂くことしか出来ないのに。人間は世界にやさしくないぞ。人間がやさしいのはあくまで地球に対してだ。それもごく一部のよくできた人間に限っての話だ。「地球にやさしく」という標語ならあちこちで見るが、「世界にやさしく」なんて標語はあんまり見かけないからな。ワハハ。ざまあみろ。

 

信心パンチ!

べらぼうに安い頭痛薬が仕事帰りにふらっと買える今の暮らしは恵まれているなと思う。100錠入りで500円くらいだったかな?効きはそれなりだ。「この薬を飲めば頭痛が治る」と私が信じている限りは効くと思う。信じることはパワーだ。信心で殴ろう。人間はもっと、くだらないことをくだらないやり方でくだらないように信じていた方が幸せになれると思う。大掛かりなことを大掛かりなやり方で大掛かりに信じるのは、人間ちゃんには少々早すぎたように思われます。それってさんすうを習得する前から数学をやり始めるようなものじゃないですか。よいこのどうとくを習得する前から応用倫理学をやり始めるようなものじゃないですか。何がとは言わないけど。

 

グツグツのお粥で身体を拭いてあげようね

病気なのは世界の方で、自分こそが健康なんだと言い張れるうちは、人並みに健康でもあるし、人並みに病気でもあるな。世界を病気にしたがるのは、アレだ、 人として極めて正常な異常性・・・・・・・・・・・・・ なんだ。その異常性は正常だ。だから安心しよう。世界が健康であることは、我々にとってだいたい都合が悪いんだ。世界は病人でいてくれた方が我々に都合がいい。床に臥してウンウン唸っている世界を見ると、自分の健康をひしひしと実感できるからね。世界を看病してやるのはきっと気持ちいいゾイ。

 

お前がグツグツのお粥になるんだよ

別に私は世界に恨みはないけれど、恨みがなくとも恨める対象は世界くらいだと思うので、今日も無意味に世界を恨むことにします。

 

 

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