珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

ワーキングがワーキングする覚書|労働は用法用量を守って正しくお使いください

まったく近頃の若者ときたら

あの……ちょっとみんな頑張りすぎじゃない……ねえ……早朝働いて日中も働くとか……日中働いて深夜も働くとか……みんな当たり前のように言ってるけど……あの……みんないつ寝てるの……睡眠時間足りてるの……身体しんどくないの……人間には朝と昼と夜しかないはずなのに……もしかしてみんな私の知らない時間を持っているの……ねえ……

 

うちで働いてるフリーターのほとんどが1日に2つの職場で働く同日掛け持ちタイプだった

一体なにが彼らをそこまでさせるのか。この問いは決して「一体なにが彼らを労働へ突き動かすのか」という意味ではない。「一体なにが彼らを労働へと突き落とすのか」という意味である。突き飛ばす、としてもよい。ウーム、これでは分かりづらいだろうか?ええと、つまりだから、私は彼らが働く理由や目的を知りたいのではなくて、彼らを働かせる元凶や黒幕について知りたいのだ。彼らの労働の末に結ばれる果実を拝みたいのではなくて、彼らの労働がそこから始まるところの種子を拝みたいのだ。果実の方は100人いれば100通り、色も、形も、香りも、味も、食感も異なる、個性豊かなものが実るのだ。しかし種子の方は……ウン、だいたい一緒なんじゃないかな。いやだいたいじゃないな。総じて一緒なんじゃないかな。

 

変な語尾ザウルス

そうそう、疑問への答えに「社会」とか「世の中」とか「世間」とか「資本主義経済」という言葉を使ってしまうとそれだけで何もかもきれいさっぱり片付いてしまうので、今回に限りそれらの言葉はNGワードに設定しておくことにする。もしも使ってしまったら今日1日変な語尾で喋ります。語尾にザウルスとか付けます。喋る相手がいないので実質ノーペナルティです。

 

WORKING!

子供の頃は、時間が長かったなあ。所持時間も体感時間も含めて。学校から帰ってあれもこれもやってまだ有り余るほどの時間があった。しかし大人になると、普通に一般的に平均的な大人・・・・・・・・・・・・・ になると、なんでもお金が余りだして時間の方が足りなくなるらしい。私は普通に一般的に平均的な大人になったことがないので聞きかじりでしかないが。じゃあお金も足りないし時間も足りない人間をなんと呼べばいいんだ。世……ちまたにはワーキングプアという単語があるが、ああいうのとはまた違っていて、なんというか、お金に困っているわけではないが圧倒的にお金が足りない、そんな人間はワーキングプアとはまた違うなにかだと思う。プアではないんだよね。それでも人一倍ワーキングしなくちゃいけない理由があるんだよね。それってワーキングじゃん。ワーキングでいいか。

 

擬人化した安心と擬人化したお金って同一人物なのでは

人の中の子供は無邪気にこう言う。「時間があってもお金がなかったらつまらないじゃん」と。まあ、半分位は頷いておきましょうか。で、人の中の普通に一般的に平均的な大人は神妙にこう言う。「お金があってもそれらを使う時間がなかったら意味がないんだよ」と。私個人としては、お金はそこにあるだけで安心をもたらしてくれる魔法のアイテムなので、使わずに飾っておくほうがより効能を発揮するのだが、今回は普通に一般的に平均的な大人の声ということで、半分位は同意しておきましょうか。私は大人なので、本来であれば普通に一般的に平均的な大人の意見に同意しておけば間違いはないはずなのだが、残念ながら普通に一般的に平均的な大人ではなかったので、全面的な同意はできない。ならばと子供の意見に助けを求めても、こちらはこちらで全面的な同意はできない。完璧な子供の味方にもなれないし完璧な大人の味方にもなれない。逆に言えば、どちらも我々の味方ではない。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

この場合の「背中を押す」とは「後押しする」という意味ではなく『背中を押す』という意味です

時間ならあげるからお金がほしい子供と、お金ならあげるから時間がほしい大人。我々はこの模範的な子供か模範的な大人のどちらかに、あるいは片方ずつ交互に後押しされながら働く。それで、前述のワーキングたちは……ワーキングたちは、お金が足りなくて時間も足りないから、お金も欲しいし時間も欲しい。ええと、ちょっと待ってくれ、「時間ならあげるからお金が欲しい」という点では模範的な子供だが、あげるための時間がない。一方、「お金ならあげるから時間が欲しい」という点では模範的な大人だが、あげるためのお金がない。ええと、こういうときにどうなるかというと、模範的な子供と模範的な大人が両方いっぺんに笑いながらこちらの背中を押してくるのだ。「お金が欲しいんでしょ?」と言いながら模範的な子供が背中を押し、「時間が欲しいんでしょ?」と言いながら模範的な大人が背中を押す。本来どちらか1人の力にしか耐えられないようにできているのに、2人の手に押されてしまった背中はどこへ行くかというと、勢い余ってどこかへ飛んでいくのである。

 

変な語尾ザウルス

我々を、そして彼らを突き落としているのは模範的な子供と模範的な大人でした。我々が模範的な彼らから逃げおおせることは一生ないんだと思います。せめてワーキングがもっとワーキングしやすい世の中になればいいですね。あっ、世の中になればいいザウルスね。

 

 

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