珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

にんべんに人と書いて「てき」と読む覚書|「敵」って漢字ににんべんがついてないのちょっと解せないな

最近の悩み

どこへ行っても人間がいる

 

見てうるさい聞いてうるさい触れてうるさい それが人間

人間社会で生きるとはどういう意味なのかひしと実感している。どこへ行っても人間がいる。人間か纏わり付いてくる。人間が絡み付いてくる。人間、人間、人間……。真夜中の小道を歩いていても人間がいる。早朝のコンビニの店先で静寂を貪っていてもすぐに近くまで人間がやってきて電話を始めたり延々と咳をかましたり、ただ黙ってそこにいたりする。ただ黙ってそこにいるだけなのにやかましい。人間はそこにいるだけでやかましい。人間の存在感がでかすぎる。雀がチュンチュン鳴いていたりカラスがカァカァ鳴いていたり謎の鳥がホッ↓ホ↑ホー↑ホーホ↓ホッ↓ホ↑ホー↑ホーホ↓鳴いていたりするのはまったく気にならないのに、人間が黙ってそこにいるだけで騒々しくて仕方がない。中でも不思議なのは、それが自分とは全然無関係のまったく知らない人間であればあるほど、また、その人間が静かであればあるほど、騒々しく感じることである。

 

少なくともこれまでの人生における私の敵はみんな人間だったよ

「人間を見たらひとまず敵と疑ってかかれ」って頭の中の人間じゃないかもしれない誰かがしきりに囁いてくるから、私にできることは、頭の中の人間じゃないかもしれない誰かを黙らせるか、ただ黙ってそこにいる人間を黙らせるかの二択しかないのだ。とはいえ、ただ黙ってそこにいる人間に向かって「すみませんが、静かにしていただけないでしょうか」なんて言おうものなら私は狂人である。もちろん、「すまないが黙っていてもらおうか……永遠にな!」なんてことがやりたいわけでもない。そんなことをしたら私は罪人である。

 

大人の話が長いのは長く生きているぶん色々知りすぎてしまったから

「私のストレスの元凶はだいたい人間」と言い切ってしまってもそれはそれでいいのだが、やはりどうにも子供っぽいので、もう少し大人らしい言い方を考えることにします。「私がストレスを感じるのはだいたい人間」。おお、少しは大人らしくなりましたか?これでもまだ少し青臭いだろうか。つい先日まで未成年だった成年ってところかな。表立って人間を悪者に仕立てることをやめたという点では幼さからの脱却と言えなくもないが、やはりどうしても、非の矛先が人間へと向かっているように見える。隙あらば非を人間に押し付けたいという思いが隠しきれていない。内省が見えてこない。ならば思い切ってこうしましょう。「私さんが人間相手にストレスを感じると言っているのは要するに私さんが勝手に人間相手にストレスを感じているだけなのであり、他人はなに一つ悪くないのであって、その責任はすべて私さんにあるし、私さんは他人に一切迷惑をかけることなく私さん自身の努力によってのみそれを解決すべきである」。おお、おお!これぞまさに大人って感じですね!

 

URYYYYYYYYY

原因を自分の外に押し付けるよりも自分の中から探し出す方が大人らしいと言えるだろう。それに、ストレスを感じる対象が近くにあるならば、下手に騒ぎ立てず黙ってそれから離れていく、それもまたある意味大人らしいやり方だ。ならば私が黙って人間から離れていこう。世界中の人間をそこから追い出すよりも、私ひとりが人間界から去っていくほうがよっぽど簡単だろうしね。是非ともその道を知っている人間からやり方を教わりたいのだが、お客様の中に人間界の去り方について詳しい方はいらっしゃいませんか。石仮面か。石仮面をつければいいのか。

 

人間の特権:壊れていても本人にその自覚がないうちはそれとなく稼働できる

「おのれ人間~~~」みたいなやつが接客業やってるのほんとウケる。いや逆か。接客業なんぞをやっているから「おのれ人間~~~」みたいなやつが量産されていくのか。まあなんやかんやでモノや数字の機嫌を取るよりも人間の機嫌を取るほうが簡単だからな。モノや数字は心にもないお世辞やおべっかをいくら言ってみたところで調子が良くなるわけでもなし。こんなことを言うと機械関係の人に怒られそうだが、壊れた機械よりも壊れてない人間の方がよっぽど手に余るからな。壊れてないから修理しようがないし、だいいち、人が壊れてない人間のことを壊れた人間だと思い込んでいるとき、壊れているのはだいたい自分の方だからな。かなしいね。おぞましいほどに。

 

 

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