珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

ナイトショッピングイズグッドな覚書|ファミリーマート サカナクション ときどき私

ファミリーマートの26時が過ぎてく

わたし「(黙々とセルフレジ会計中)」

店長さん「あのー、お姉さん」

わたし「ヒエーッ(あ、わたしですか?)」

店長さん「お姉さんいつもセルフレジで会計されるから前回の700円くじ全然引いてないですよね?これくじの景品の余りなんですけどよかったら差し上げます」

わたし「ヒエーッ(えっいいんですか?)」

店長さん「どうぞどうぞ」

わたし「ヒエーッ(ありがとうございます!いつもお世話になってます!)」


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ファミマの入店音を夜に聴いたせいですこんな心

ヒエーッ(近所のファミマの店長さんに完全認知されていて正直焦った。快活な人間ならそこから店長さんと仲良くなったりして、今後来店したときに「こんばんはー先日はどうもー」なんて挨拶しちゃったりするんでしょうけど、残念ながら私は快活な人間ではなかったので、次にファミマに行くタイミングを深々と思案している。もし次に行った時に店長さんがいたらやっぱりちょっとくらい会釈とかした方がいいかな?私もコンビニで働いている身であるし、毎度毎度全身黒ずくめでやって来て毎回セルフレジで会計して帰る客がいたら、必然覚えるわな。世には行きつけの店の店員から認知されるとその店に行きづらくなるタイプがいるというが、私もまさにそのタイプである。いや、行くけど。近いし。自分は自分の店の常連客を認知しているのに、自分は常連客として認知されたくないというのも、虫のいい話である。)


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アイデンティティがある 生まれたらららら

ヒエーッ(ともあれ、自分には他人から認知されるだけの要素がちゃんとあったということで、ここはなんとか満足しようじゃないか。私も立派に個体であったということだ。私にはちゃんと私というカテゴリーがあったのだ。つまるところ、人間とか、哺乳類とか、そういうカテゴリー止まりではなかったということだ。人間というカテゴリーから一歩進んで、私は私というカテゴリーに存在していたのだ。それは多分いいことなんだろう。いいことなのかな?まあ、いいことなんだろう。)


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ホーリーシット 放り出して逃げ込んだ

ヒエーッ(ときどき、自分が個体としてしっかり認知されている事実に怯えることがある。たとえば、私の名前はバイト先にしっかり登録されていて、私の勤務時間はしっかりシフトに組み込まれていて、万が一私が無断でバイトを休もうものなら鬼のように電話がかかってくるであろう、それくらい、自分はバイト先で個体としてしっかり認知されているという事実が、どうしようもなくおっかないと感じる。私が誰かと会話し終わったあとで、ふと相手の視点を想像して、そこで確かに”自分”(=相手)と喋っている私の姿を思い描くと、ギエーッ!となる。存在すなーっ!とさえ思う。この感覚はイマイチ言葉で説明できないのだけど、要するに、透明人間になりたかったなあってことです。)


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逃げるよ 逃げるよ あと少しだけと言いつつ結局最後まで

ヒエーッ(ヒエーッ)


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