珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

ギリシアの哲人vs最新式超高性能ホームベーカリーについての覚書|世界史や文化史の本に書いてある大昔のパンの説明って無性に食欲をそそるんだよな古代エジプトのパンとか

衣食が足りてないと人はだんだん具合がおかしくなるようにできてるんだからそろそろ諦めて

この世には人の手から成る素晴らしいものがたくさんあるが、一体どこからどこまでが自分に相応しいものか見極めるのはなかなか難しい。だって最近じゃあほら、小銭入れの底を叩く程度の額で驚くほど素晴らしいものが手に入ったりするじゃないですか。逆に、通帳の底を叩く程度の額で驚くほどくだらないものが手に入ったりするじゃないですか。だからだんだん分からなくなってくるんですよ。いくら払ってどれくらいの価値を受け取りながら生きていくのが身分相応なのか。それにそういうのあんまり私に向いてないかもなって。なにも1日のパンを手に入れるために3日は働かないと気が済まないとか、江戸時代よろしく麻や木綿より上等な衣服を身につけてはならない決まりを私限定で布いて欲しい(布だけに)とか、ファッキン資本主義とか、決してそういうことが言いたいわけではない。貧乏は安心の敵だからそれすなわち私の敵だし、禁欲を通せるほどよくできた人間じゃないし、これが1番大切なことなのだが、清貧という言葉が関わるところには総じてロクなことがない。人は歴史とインターネットから学ぶものだ。

 

手持ちのもので贅沢しようと思えば十分できるのに「無意味に贅沢すべきではない」という無言の圧力に屈した人間が世の中にはうじゃうじゃいるんだ贅沢とは本来無意味なものなのに

金銭感覚の逆ガバがオーバーヒートしていて、そろそろ金に謀反を起こされても仕方ないと思う。逆ガバってのは、金銭感覚ガバガバの逆ってことで、まあ世の中には 吝嗇りんしょく という便利な言葉がありますね。なにかを買うのにいちいち「これは自分に相応なものか」などと考えだす程度には身分をわきまえる人間になりました。そりゃあ一昔前ならば、金があるなら私はそれなりの身分の人間だったろうし、金がないのなら平民もしくはそれ以下の人間であることが確定的に明らかだっただろうが、今ではそう単純にはいかないので、身近な人間の買い物の様子ですら参考にならんのです。いやそもそも令和の世にあって身分ってなんだよ。私の考える身分っていったいなんなんだ。私はいったいなにと戦っているんだ。

 

天国においしいパンはありましたか?

わざわざ私が言うまでもないことだが、広く長く読み継がれた素晴らしい古典であっても、まともな本読みであれば書いてあることを鵜呑みにせず、一度立ち止まってその内容を自らに引き寄せて吟味するべきだ。とりわけその内容が節制とか耐乏とか禁欲に関するものであれば、一度ならず二度か三度、できれば四度か五度は立ち止まって考えるべきだ。人間そのものは何千年経ってもそう変わり映えしていないと思うが、人間の周りにあるモノどもは呆れるほど変わり果てているからね。見るまでもなく明らかに、人間に対してモノどもが強くなっている。物質的なものに限らず経験的なものもそうなのだが、ここでは便宜上「モノども」とまとめて呼ぶことにしよう。大昔の人が「モノどもなんかに負けないんだから」と宣言する場合と、今の人間が「モノどもなんかに負けないんだから」と宣言する場合とでは、人間側に要求されている戦闘力が桁違いなのだ。繰り返すが、人間の性能はそう変化していないのに。たとえ禁欲的で知られたギリシアの哲人であれど、手軽にあつあつふかふかのおいしいパンが焼ける最新式超高性能ホームベーカリーを目の前に出されたら、ちょっと狼狽えるかもしれないでしょ。「ホームベーカリーには勝てなかったよ……」ってなるかもしれないでしょ。

 

セブンイレブンでよくわかる現実:しっとり食パン(116円)→セブンブレッド(149円)→金の食パン(321円)

思えば、学校で、身の丈に合った買い物のやり方というものを習ったことがなかったな。そんなものできるわけがないか。小学校に「買い物」という授業を設けて、学年を親の収入別に3つのクラスに分けて、あるクラスには「食パンなんてどれも一緒なんだからいちばん安いものを買いなさい」と教え、あるクラスには「食パンは数十円違うだけで結構味が変わってくるものですが値段と味のバランスを考慮して真ん中くらいの値段のものを選べばOKです」と教え、あるクラスには「食パンは金額によってぜんぜん味が違うのだからできるだけ高くていいものを買って生活の質を上げましょうね」と教える。涙が出るくらい非現実的な現実教育ですね。もしも人に、そんな教育があってたまるかと叫ぶ良心の首をキュッと締めておく勇気があったのなら、こうなっていたかもね。ぞぞぞ。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

周りを隙間なく天才に囲まれて日々過ごしてる感じ

なんと言えばよいのか、私は人が作った素晴らしいものに甘えるのが下手くそなんだろうな。それもこれも、人が作った素晴らしいものが素晴らしすぎるせいだ。人の手から成る素晴らしいものたちが、それを手にした人よりうんと素晴らしいというのも考えものだなあ。

 

 

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