珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

手動で豆を挽く覚書|腕が痛い!生きてる!

人間容疑者の供述

「生きがい欲しさに死んだ。死ぬつもりはなかった」

 

息を吸うように神様に喧嘩を売る

こんなことにならないうちに、なんとしてでも生きがいは見つけておかねばならないな。死ぬつもりはこれっぽっちもなかったのに、生きがいが欲しすぎるあまり死んでしまうなんて、これには本末転倒の神様もニッコリ。八百万も神様がいるのなら、その中に本末転倒を司る神様がいたって別におかしくないでしょう。いやそもそも神様自体が本末転倒なんでしたっけ。「あー救います救います」って言いながらいろんなものを創る片手間に八百万の人間を殴り飛ばしたりしてるもんな。この世に神様なんてものがいなかったら失われずに済んだ命の数、それこそ八百万では済まないだろう。

 

それにより喜びや苦しみが始まったり終わったりしろ

いったい手持ちにいくつの生きがいがあれば、生の苦しみと真っ向から戦えるのだろうか。これから先、生半可な生きがいじゃきっと太刀打ちできない。ありとあらゆる苦しみを吹き飛ばすくらいの生きがい、それと向き合っている間はどんな憂鬱もさっぱり忘れられるような生きがい、これさえあればどんな困難にも堪え忍べると豪語できるくらいに強力な生きがい……ウーン。強いて言うならば、人はいつか必ず死ぬこと、それくらいしか思い浮かばないぞ。死は喜びの終わりであると考える人、喜びの始まりであると考える人、苦しみの終わりであると考える人、苦しみの始まりであると考える人。人生いろいろ、人死もいろいろ。

 

豆を挽く

話は変わるが、だいぶ前にダイソーで500円で買った手動コーヒーミルで生まれて初めて豆を挽いてみた。これがまたよかった。よかったというのは、ミルの性能がという意味ではなく、豆を挽く行為がよかったという意味である。他に比較するミルを持っていないので性能についてはさっぱり分からない。コーヒーが好きな割にコーヒーについてなにも知らないし。ハンドルを回すときはかなり力を込めて本体を押さえておかないといけないので、翌々日になって腕が筋肉痛になった。仕事中に襲った謎の腕の痛みに首を捻って、家に帰って、さあ今日も豆を挽くぞとなって、合点した。アア、とうとう腕の痛みが2日後に来るようになってしまった。まあそんなことはどうでもいいとして、なんにしろ、豆を挽く行為はたいへんによかった。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

普段は人間をやり、ときどき豆挽き機になる

生きがい。生きがい。生きがい。私は相も変わらずそんなしょうもないものを探し続けているけれど、とりあえず豆を挽くことは生きがいのひとつに入れてやってもいい。これをやらなきゃいかんというわけでもないが、やることでなんとなく気持ちが落ち着いて、明日飛ばして明後日くらいにまたやろうかなみたいな、そんな気分にさせてくれる、それくらいのなにかがひとつかふたつあれば、さしあたり。人間としてやっていくよりも、豆挽き機としてやっていきたいなあ。その方がよっぽど有意義で、希望があると思う。豆挽き機が豆を挽けばコーヒー粉ができあがるけど、人間が人間の仕事をしたところでいったいなにができあがるってんだ。そもそも人間の仕事ってなんだ?豆挽き機は豆が挽ける、人間ちゃんはなにができるの?息?息が吸えるの?えらいねえ。

 

それだけはやめろ!

とりあえず生きがい欲しさのあまり死ぬのは最高にマヌケだからやめよう。最高に人間臭くて笑えるからやめよう。そんな死に方をしたら、なんて人間らしい死に方なんでしょうって感心されて、心の底から人間が好きなのねって誤解されて、また人間に生まれてしまうかもしれない。そ、それだけは勘弁してほしい。いやほんとに。人間だけは。人間なんて、1回やれば十分だもの。

 

 

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