珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

ただし魂は口から出る覚書|魔法は尻から

いい質問ですねえ

21世紀にあってなお、「口から魂が抜ける」という視覚表現が現役なのはなかなか興味深い。呆然とした表情で口から白っぽいもや を上に向かって吐き出している人の絵を見て、「この人は随分ヘンな顔してタバコを吸うんだなあ」とは思わないだろう。呆然とした表情で口から白っぽい靄を上に向かって吐き出している人=口から魂が抜けている人であることを理解できるようになるために、我々が幼い頃に一体どのような教育を受けたのか、覚えている方はいらっしゃいますか。「お母さん、どうしてこの人は口から雲が出ているの」「それはね、雲じゃなくて魂っていうのよ」「お母さん、どうしてこの人は口から魂が出ているの」「それはね、とっても嫌なことがあったからよ」「お母さん、どうしてとっても嫌なことがあると口から魂が出るの」「それはね、神様のお側に行ってお昼寝をするためよ」「お母さん、どうしてこの人は神様のお側に行ってお昼寝をしなくちゃいけないの」「それはね、神様のお側でお昼寝をすると、とっても嫌なことを綺麗さっぱり忘れて元気になれるからよ」「お母さん、そもそも魂ってなあに」「それはね……」

 

アルコールの体内生成は酒税法に引っかかりますか

最近は労働の暇な時間を狙って適度に魂を抜いておくことにしている。なに言ってんだ?もちろんこれは比喩であって、決して幽体離脱をしているわけではない。労働の合間に狙ってそんなことをしている人がいたらそいつは既に人間をやめているか、さもなくばザ・たっちである。じゃあなにをやっているのかって、特になにかをしているわけではない。ぼうっとしているだけかと言われると、またそうでもない。意識が繋がっているわけでも途切れているわけでもなく、ただちょっと酔っ払ったような具合になるのがそれである。息抜きとはまた違う。私の口から出ているものは、息ではなく魂なのだから。うまく説明できることばが見つかったらまた記事にするかもしれません。ひょっとすると、バイトの休憩時間にプラトンばかり読んでいるせいで、バッコスに憑かれているのかもしれません。

 

老後が来るといいですね

魂といったらやっぱり古代エジプトでしょう。好き好き古代エジプト私は小学生の頃に何故か古代エジプトをこじらせていて、そのときに読み漁った本の内容、今も思い出せるのはごく僅かではあるが、未だに印象深いものがそこそこある。我々が霊魂とひとまとめに呼んでいるものにはカァとバァの2種類あるとか、かの吉村作治先生が「大学の講義で『この世に残るのが母(カァ)さん、あの世に逝くのが婆(バァ)さんと覚えなさい』と言うと学生にはだいたいウケる」的なことを書いていたとか、オシリスがバラバラにされて捨てられたあとイシスが頑張って探したけどㄘんㄘんだけ見つからなかったとか、レタスは媚薬だったとか、なんか色々だ。ヒエログリフも勉強していた。そっちはぜんぜん覚えてないけど。運良く老後がやってきたら、またヒエログリフでもやろうかねえ。

 

実際古代なんかに転生したら現代においては既に信ずるに値しないとされている非常に多くのものが「疑うべからざる真実」と見なされているんだろうから遅かれ早かれ発狂して死ぬと思う

どっこい私、古代文明とか神話とかそういうものが好きなわりには、非科学的・非現実的なものを全然信じてない。この発言は矛盾しているだろうか?常連客の中にやたらオカルティックな長話をしてくるヘンなおじさんがいるが、適当に相槌を打っている間はずっと今日のごはんのことを考えている。非現実的なものは非現実の範囲で楽しむから楽しいのであって、それを我々が今生きている現実に持ち込んでしまうとたちまちつまらなくなると思っている。だから、もし私が古代エジプトにタイムスリップして、カァとかバァとかいう概念がそっくりそのまま私の現実の中に持ち込まれてしまったら、それまでロマンであったものがただのオカルトに転がり落ちて、たちまちそれらにうんざりしてしまうのではないかと恐れている。お願いですから間違っても古代エジプトにタイムスリップしませんように。たとえトラックに轢かれても古代エジプトの王女とかに転生しませんように。

 

三幻神の中でひとりだけ神様の名前じゃないやつがいまーす

ちなみにどうして私が小学生の頃に古代エジプトをこじらせていたかというと、ある頃たまたま遊戯王を読んで古代エジプトに興味を持ち、ほぼ同時にたまたまワンピースのアラバスタ編を読んでロビン(当時はミス・オールサンデー)が” 歴史の本文ポーネグリ ”を解読するシーンに憧れを抱き、ほぼ同時にたまたま両親に連れられて当時博物館で開催されていた古代エジプトを見たことがトドメとなり、古代エジプトをこじらせる小学生になりました。その当時どうしても欲しくてねだって買ってもらった展覧会図録、今も押し入れにある。下の画像はいつものフリー画像サイトから借りてきたものですが、あの世での審判中でしょうか。左に座っているのは社長こと海馬瀬人のモデルでお馴染みのセト神かな。子供の頃の好奇心も案外覚えているものだ。十つ子の魂百まで。十つ子のバァ百まで。

 

 

f:id:shirokuro_044:20211104221948p:plain