山盛りのイチョウとめっちゃかわいい子猫についての覚書|あのお姉さんもあのお兄さんもたぶん悪い人ではないと思う
あれ?
夜、川沿いを歩いていたら、遠くにスマホを構えて立ち止まっているお姉さんがいた。通常なら訝しがるところであろうが、私にはピンときた。「ひょっとして、猫がいるのでは?」。その川沿いの道にはしょっちゅう野良猫がうろうろしていて、私自身も野良猫写真フォルダを肥やすのにたいへんお世話になっているスポットである。ふた月ほど前、手のひらに乗りそうなほど小さな子猫が道におすわりしていて、それに向かってこっそりスマホを構えたことはまだ記憶に新しい。やがてスマホを下ろしたお姉さんは何事もなかったかのようにそそくさと歩き始めた。ウン。間違いなく、猫がいますねこれは。私は自身のスマホの写真アプリをあらかじめ起動し、お姉さんがスマホを構えていた方向をチラチラ眺めながら歩いた。間もなくそのお姉さんとすれ違った。やがてお姉さんがスマホを構えていたまさにその場所にたどり着いた。さあ、さあ、ネコチャン!いるんだろう!私はわくわくしてその場を覗き込んだ!するとそこにいたのは!!なんと!!!
山盛りのイチョウ!!!!!
あれ?
ロマンティック持っててもしょうがないしあげるよ
私はひたすら猫を探した。しかし、いくら周囲を見回せど、そこにはただただ山盛りのイチョウがあるばかりであった。街灯の白っぽい光の下、夜露に濡れたイチョウの葉が木の根元にこんもりと積もっており、そこから地面に向かって流れる葉っぱの群れが立派に山吹色の大道を成していた。今年の仕事を終えた秋の神様はきっとあの道を通って家に帰るんだろう。幾日か後にはあのイチョウの葉も茶色い枯葉となり、今度は冬の神様がその道を通ってやってくるのだ。うーん、ロマンティック。しかし、猫はいなかった。そこにはただただ山盛りのイチョウがあるばかりであった。私はがっかりした。スマホをバッグにしまい、ポケットに手を突っ込んで、何事もなかったかのように夜道をテクテク歩いていった。
あのときのイチョウは写真に撮らなかったけど昨日の昼飯のカップラーメンに乗せたとろけるチーズがとろける様子は写真に撮ってある
あのお姉さんはきっと、山盛りのイチョウを撮っていたんだと思う。それで、私が猫がいるものと勝手に勘違いして、勝手に期待して、勝手にがっかりした。それだけの、なんてことはない話である。あのお姉さんは、山盛りのイチョウに趣を感じて、スマホで写真を撮った。しかし私は、山盛りのイチョウに驚きはしたけれど、イマイチピンと来なかったので、写真を撮らなかった。それだけの、なんてことはない話である。「とりたいけしき そうではないけしき そんなのひとのかって」。まさにそれだけの話である。あれが山盛りのイチョウではなく、私が望むとおりの猫であったならば、立場はまるきり逆転していたかもしれない。
いっちばーん!
私があの山盛りのイチョウを写真に収めなかった理由、関心が薄かったからと言えばそれまでなのだが、なんというかね、私はそういう、心動かされるものに関しては、常に第一発見者でありたいわけですよ。つまり、「人が写真を撮っておる、はて一体なんじゃろな、オヤマア、これは我も撮らずにはおられんわい、パシャリ」というのが心底気に食わないわけですよ。な、なんて奴!……などと偉そうに言いはしたものの、当然、あの山盛りのイチョウを見た人間は、我々の他におそらく何百何千といただろう。真夜中に見た我々と違って、明るい時間帯に、よりはっきりと見た人間もいただろう。強風の数日後に見た我々と違って、より美しい、落ちたてホヤホヤの新鮮な山盛りを見た人間もいただろう。中には写真を撮った人間もいただろう。しかしながら、私は彼らの間で第一発見者になりたいわけではないので、彼らのことはわりとどうでもいい。ひとり夜空をふと見上げて、そこに見事な満月があって、思わず足を止めて、「オヤマア、満月」と感心したならば、私は満月の第一発見者なのだ。
あれ?
先日コンビニの駐車場で、「うおお!!かわいい!かわいい!めっちゃかわいい!!写真撮っていい?」と大騒ぎしているお兄さんと隣で苦笑いしている彼女がいたので、思わず視線をやると、めっちゃかわいい子猫が車止めのそばでおすわりしていて、お兄さんがその姿を熱心にスマホで撮っていた。そこで私は「オヤマア、これは我も撮らずにはおられんわい」と思い、お兄さんが写真を撮り終えるまで律儀に順番待ちをし、お兄さんと彼女が車に乗り込んだのを確かめて、こっそり子猫の写真を撮った。あの場においてはお兄さんが第一発見者で、彼女が第二発見者であり、私は所詮第三発見者に過ぎない。だがそんなことはこの際どうでもいい!めっちゃかわいい子猫の写真を見てくれ!
かわヨ