珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

「わかる」がわかる覚書|わかったふりのなんと易いこと

参考書に蛍光ペンを引くよりも私が蛍光イエローのサングラスをかけた方が早い

コンスタンの『アドルフ』を再読している。この作者は、どうしてこうも、なんでもない地の文の中で、これほどたくさん核心をつくのだろう。なんでもない地の文がなんでもない地の文でもなんでもない。いや、恐らく人によってはなんでもない地の文なのだが、一度でもそれを感じたことのある人間にとっては、なんでもありすぎるくらいなんでもあるのである。古びたホワイトボードの隅っこに最重要事項を書きつけておくような調子で、真理を書き出す。校長先生がその長話の途中で、明日世界が滅びるという衝撃の事実を告げ、そこからまた他愛もない話を始めるような。そうなればもう、そこから我々は校長先生の長話を、熱心に聴き入らずにはおられないではないか。おかげで付箋を貼る手が止まらない。どこもかしこも付箋だらけで、私がこれらの文章のうち一体どこに感銘を受けたのか却って分からなくなる有様である。

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前に『アドルフ』を読んでいたときの記事

 

岩波文庫版(1935)より わかる

当時、私は内気の何たるかを知らなかった。内気は内的の苦痛であって、どんな老年においてまでもわれわれにつきまとい、どんな深い印象をもわれわれの心の上で踏みにじり、われわれの言葉を凍らせてしまい、われわれがいおうとする一切のことをわれわれの口の中でゆがめ、そして、われわれがおのれの感情を人に伝え得ないその辛さの復讎をば、おのれの感情そのものへ持っていってしようとでもするかのように、ただ曖昧な言葉や多少ともにがにがしい皮肉でもって物をいうことしか、われわれに許さないところのものなのである。

わかる

 

われわれはほとんど常に、心の平安を保つために、実はわれわれの無力や弱さにほかならぬものを、やれ打算だとかやれ主義だとかいってごまかす。

わかる

 

およそ人間には完全な統一というものはないので、ほとんど決して、なんぴとも全く真剣であることもなければ、さりとて全く不誠実であることもない。

わかる

 

凡人を殺す「わかる」

マシンガンに「わかる」を込めてこうも容赦なく連射されたら、誰でも死ぬと思う。ヤバい。「わかる」に殺される。「わかる」ってのは、すなわち共感であって、人に危害を加えるような何かでは決してなく、それどころか人に恩恵を与えてくれるような代物なんじゃあなかったんですか。「わかる」が多すぎて、胸が痛くなる。共感は、あればあるほど幸せになれるものなんじゃあなかったんですか。自分と同じような考えを持っている人、自分の感じたことに理解を示してくれる人、自分が感じてはいたもののうまく言葉にできなかったものを自分の代わりに言葉にしてくれる人、みんなみんな、味方だったんじゃあなかったんですか。共感さえも敵であるのなら、我々は一体なにを味方とすればよいのだろう。

 

この前バイト中に「おうとつの『おう』みたいな形の部品です!」と言われてしばらくフリーズした

共感したあと、あるいは共感されたあとに感じる大きな喜びのあとに、むず痒い空白がやってくるのを、感じだことはないだろうか。自分ひとりではなかったと歓喜すると同時に、自分ひとりのものであってほしかったと落胆する、あの奇妙な空白を。妙ちきりんな例えを用いていいならば、こちらに凹がやってきたかと思うとすぐさま凸が駆け寄ってきてその上に覆いかぶさり、互いが互いを埋め合って、間もなくそこにはただのつまらない四角形が横たわっている、そんな具合。共感する、もしくはされることによって、自分がその分普遍とか一般とか平均というものに一歩ずつ近づいていく恐ろしさがそこにはあると思う。自分は結局、不安に身を投じてでも凸凹していたかったんだと思う。自分の中の凸、ないし凹を埋められる安心感とおっかなさ、最終的にただのつまらない四角形になってしまう虚しさよ。

 

大勢の人間の秘密を集めてそれを大まかに分類して1冊の本に編集したならばそれはもう秘密の集合でもなんでもなくて人間の基本的性質を書いた生物図鑑になるだろう

不思議なことに、ここひと月ほどで、「特に秘めるようなことでもないが、まあよほどのことがない限り人には話すまいよ」と思って自分の中にしまっておいたことを、実は身近にいる他人も持っていて、その他人の打ち明けに対して「わかる」と共感するという経験が何度も起こっている。バイト先で、大学を休学していた女の子から、悩んだ末に退学することにしましたと言われた。そのときの諸々が、私が退学を決意したときの心境ととてもよく似ていて、そこにはたくさんの「わかる」があった。流石にその場では「わかる」などという軽い言葉は使わなかったが、「わかる」ボタンがあったら壊れるまで押していたところだ。他にも、自分は男だが昔から女性アイドルや萌え系のゲームなどにはてんで興味がなく、その一方で男性アイドルや男性K-POP歌手の大ファンであり、それは両親にある疑念をもたらすほどの熱の入れようであったが、しかし恋愛対象はまるきり女性、という話をされた。わかる。男と女をひっくり返したら、だいたい私である。身近には、たくさんの「わかる」があるんだなあ。

 

めちゃくちゃ共感しました!読者登録します!

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この記事に書いてることわかる まるで私が書いたみたい

 

 

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