珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

はじめてーのー覚書|自分の安心の蓄えも十分でないうちから他人にお裾分けする安心の分まで考えなきゃならんなんてキテレツな話だ

はじめてーのー

御祝儀

 

きみと

御祝儀

 

I will give you all my money

なぜか優しい気持ちがいっぱい優しい気持ち優██い優し優優優優優█優優優


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ワハハ!

従兄が結婚式を挙げたので、28歳、人生初御祝儀です。なんにもわからんので、親に言われるがまま3万円出しました。9月に楽天スーパーセールでしこたま買い物をし、先月にもブラックフライデーがどうとかマイナポイント還元がどうとか言い訳をつけて楽天で買い物をしたので、お財布的には正直厳しいですが、まあめでたいことなのでヨシ!とします。財布は冷え冷え、心はぬくぬく……とでも言うと思ったか!ワハハ!親戚の子世代の中で最も年上の従兄が結婚して、年齢から行けば次は私の番だ!ドッコイそんな予定は露ほどもない!これから先、きっと従妹にどんどん先を越されていくんだろう!御祝儀が一通り過ぎれば今度は甥姪へお年玉のターンだ!お年玉は御祝儀と違って軽く10年、下手すると20年近くは続くからな!甥姪が成人すれば当然成人祝いだ!ワハハ!ワハハ!

 

お金で買えない価値はありましたか?

私にとって、お金とはすなわち安心そのものであると、このブログでは幾度となく述べてきた。なるほどつまり、御祝儀とか、お年玉とか、成人祝いってのは、私の安心のお裾分けってことか。私の安心が彼らにとってどれほどの価値があるのか分からんが、まあ、なんかの足しになったらいいんじゃないですかね。普段なら、同一生計の家族とか死なばもろともな関係でもない限り、他人の安心なんて大した価値も持たないものだ。しかし私の安心は、ズバリお金そのものなのだから、いとも容易く誰かにお裾分けできる。私の安心が愛情とか権力とか世界平和とかそういう類だったなら、そうホイホイお裾分けできなかっただろう。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

現金だなあ(現金なので)

逆に言えば、私の方も比較的容易に他人から安心をお裾分けしてもらうことができるってことだ。たとえこちらが誠心誠意土下座したって愛情や権力や世界平和なんてそう簡単にお裾分けしてもらえるものでもないが、魂の土下座で相手をドン引き根負けさせることさえできれば、そうだな、100円くらいならお裾分けしてもらえるかもしれない。ヒャッハー!安心のお裾分けだー!

 

フリーターかつ独り身で毎年お年玉配るのしんどくない?考えただけで気絶しそう

昔、親戚の集まりのたびに出費がかさむ出費がかさむと嘆きつつもどこか愉しげな母の姿を眺めながら、子どもごころにこんなことを考えていた。「大人は大人ってだけで出費がかさんで大変だなあ。親戚は親戚ってだけでお互いたくさんのお金をもらったりあげたりしなくちゃいけないから大変だなあ」などと。なるほど、大人が大人ってだけで出費がかさむのは、これまでの人生で蓄えてきた安心を、次の世代にお裾分けしていく必要があるからなのか。だから大人になると出費がかさむんだ。あなたはもう大人でしょう、何十年も生きてきたでしょう、だからその分たくさん安心を蓄えているはずでしょう、そろそろ次の世代にそれらをお裾分けしてもいい頃なんじゃないの、と。なるほどね。親戚が親戚ってだけでたくさんのお金をもらったりあげたりしなくちゃいけないのは、ただ単にお金の授受をしているんじゃなくて、近しい人間同士、安心をもらったりあげたりしているんだな。だってほら、親戚の集まりにおけるお金の授受なんて、子供の頃に借りたお金を大人になって返済するようなもので、それならば極端な話、わざわざお金のやり取りなんかする必要もないのだ。「親戚の大人たちはどうして年に2回しか会わない私に笑顔でお金をくれるんだろう、自分の母親はどうして年に2回しか会わない従兄弟に笑顔でお金をあげるんだろう」という、幼少期の素朴な疑問が20年越しに解けた。いい気分。ただ一つだけ言わせていただくと、大人がみな、次世代に与えられるだけの十分な安心を蓄えているとは限らないのだ。ワハハ。

 

はじめてーのー

大人になったら自分の安心とは別に他人に与える分の安心まで蓄えておかなきゃならないなんて人生はあまりにも人間に厳しい

 

きみと

チュウ(断末魔)

 

 

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