珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

温めたカレーは熱かった覚書|至れり尽くせりレトルトカリー

おつカレー

レトルトカレーの袋の注意書き。やけどにご注意ください、開封時の飛び散りにはご注意ください、加熱後の皿は熱くなっておりますご注意ください、具材が破裂する恐れがありますご注意ください、ラップを用いた場合ラップを剥がす際に蒸気が出ます顔を近づけないでください、云々。ハハア、近頃じゃあ、頑是無い幼児ですらひとりでレトルトカレーを調理する時代になったと見える。そのうち手を滑らせて皿を割らないようお気をつけくださいとか、金属スプーンを使うと熱くなるので口内のやけどにお気をつけくださいとか、食事前には手洗いうがいを心がけてくださいとか、外箱は資源ごみとしてリサイクルしましょうとか、カレーと直接関係ないことまでツラツラ記載されるようになって、それらの注意書きを読んでいるうちに夕飯が朝飯になるような有様と化すであろう。

 

実は人間にも骨とかスジがあるんですけど

私個人としては鯖缶に書いてある「小骨にご注意ください」とか、牛肉料理に書いてある「スジにご注意ください」なども大概バカバカしいと思うのだが、このご時世、想定しうる限りの注意書きを付しておかねば何言われるかたまったものじゃないので、バカバカしいながらも賢明なやり方といえる。一応口に入れるものとして売り出している以上、「魚には骨があるし肉にはスジがあることさえ知らんのか馬鹿者」の一言で両断出来ないところが、作り手売り手という立場の苦しいところよな。ただ、魚や肉とて、生まれた時にはまさか自分が人間の手でアレコレ加工されてスーパーに並ぶなんて考えてもみなかったろう。骨があるとかスジがあるとか、そんな当たり前のことで文句を言われるなんて斜め上のそのまた斜め上、画面外から強襲を受けるようなものに違いない。ああでも、もしも私が彼らの立場だったら、いざ食べられるという段になったとき、「人間は骨もないしスジもないし実に柔らかくて食べやすいなあ、まさに俺たちに食べられるために生まれてきたような生き物だ」と思われるよりは、「ややっ、人間の骨が喉に刺さった、人間のスジが歯に詰まった、畜生め」と思われる方が小気味いい。まあなんだ、若いうちの苦労は買ってでもしろとまでは言わんが、鋭い小骨のある鯖や固いスジのある牛肉は、若いうちに買ってでも食っておいた方がいいと思う。

 

学問は驚きから始まるんだぞ

鯖缶の小骨、それが喉にチクリときて、幸いそれきりであったが、少し驚いた。なんということだ。ドキッとさせおって。けしからん。腹立たしい。馬鹿にしているのか。これは是非とも一言申してやらねばなるまい。などと。ははあなるほど、もう服薬のお時間ですか。赤の他人からすれば一見毒にしか見えぬ「それ」も、本人にとってはまこと大切な薬なのである。長年飲み続けている持病の薬のようなものなのである。怒りは時に万能薬であり、同時に万能毒でもある。人は長く生きたぶんだけ、驚きという発作に対する抵抗力が薄れ、代わりに怒りという薬の服用量が増えていくような気がする。私はそうならないよう、日頃から驚きへの耐性をある程度つけておきたい。ほどほどに。驚きを驚きと実感出来る程度に、しかし怒りという薬を服用しなくともよい程度に。この加減が実に難しい。いくつになっても「びっくりした!ウケる!」と言えるような薬要らずのババアになりたい。とはいえ、もしも小骨が小骨ではなく見るからにエライ大骨でそれも運悪くエライ具合に引っかかって最終的に喉がエライことになったとかなれば、また話は別であるが。

 

「馬鹿にしているのか」という物言いはしばしば自分で自分を馬鹿にしているところから出てくる場合があるので謙虚といえばある意味謙虚

ワハハ、鯖の小骨ごときに驚かされおって、お主は鯖に骨があるということも知らんのか、この間抜けめ、ワハハ、ワハハ。こんなことを言って哂うやつがいるならば、それは鯖でもなく、鯖の小骨でもなく、作り手でもなく、売り手でもなく、自分自身だろう。頭のどこかで自分が間抜けだということを分かっている。分かっていて、認められない。もし人を哂うことが悪だとすれば、この場合の悪は自分自身である。それではすこぶる都合が悪い。己は間抜けという不名誉な称号をほぼ同時に2つも頂かなくてはならないからである。この2つの称号は、人間にとってあまりにも不愉快で、あまりにも屈辱的。にも関わらず、あまりにも日常茶飯事だ。折り合うことは並大抵の苦労ではない。いっそのこと天ぷらにでもしてバリバリ食ってやりたい。でも「抜」とか「け」って形状的に喉によく刺さりそうじゃないですか?てへんの辺りとかすげー痛そう。間抜けの天ぷらが喉に刺さるって、どんだけ間抜けなのよ。ウーン、それも人生。次は竜田揚げにします。

 

お客様相談室の職員に幸あれ

人生に苦しみが不可欠であるとは思わないが、僅かなりともそれが必要であるとすれば、それは小骨が喉に刺さる苦しみのことを言うのかもしれないな

 

 

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