踏んだり蹴ったり元通りにしてまた踏まれる覚書|たまには私が不在のときに停電してどうぞ
※下書き記事を整理していたら奥の方から出てきたやつです 多分夏頃に書いた記事
店もボロボロだけど私はもっとボロボロだよ
散々なことが立て続けに起こる勤務日が2日続いた。人生の不運を使い果たしたと言ってもいいくらいだ。2日で7回も修理業者や会社のサポートセンターに電話するなんてそうそうないぞ。しかも、どちらも一晩のうちに。私1人で。7回も。通算5回目の電話を終えた時点で「まさかこれ以上電話が必要な事態は起こるまい」からの停電×2ですからね。いやあ、以前も停電したことがあったのでその経験がフルに生きたなあ。停電復旧後15分程度で店内にある7台のシステムコンピュータを再起動し停止したサーバーを立ち上げ全て元通りの状態に復旧しその他諸々の設備の確認まで済ませることが出来た。ウム。我ながら素晴らしい手際の良さだ。冒頭の人生の不運を使い果たしたは言い過ぎとしても、今月の、いや、今年の不運くらいは使い果たしましたよね?
追記:秋にも停電しています
年内くらいは(私が)壊れませんように
私自身は代わりがいくらでもいるただのアルバイトであるが、15分で停電対応を完遂可能なただの アルバイトの代わりはそうそういるもんじゃないだろう。そうだろう?誰でもいいからそうだと言ってくれ。じゃなきゃここにいるただの アルバイトが報われない。山盛りいっぱいの体力と精神力を失った代わりに、小さじいっぱいの自己肯定感を得た稀有な機会であった。だがその一方で、自分だけがバタバタと走り回っている虚しさもひとしおであった。停電時に一緒に入っていたスタッフは他店から異動してきたばかりであったしそれは仕方ないとして、そういうイレギュラー中のイレギュラーならともかく、メインとも言える店内設備があっちもこっちも壊れていたのだから、そのうちの1つくらい誰かに気づいてほしかった。これでは私だけが道化のようではないか。ハァー、いかんいかん。自ら進んで道化を演じておきながら不平を漏らすなんて。全ては好き好んでやったことだ。見て見ぬふりをする権利を適度に行使しなかった私が悪い。頼むからもう年内くらいは壊れませんように。
追記:週1くらいで店内のなにかが壊れています
誰かがやってるから世は回ってるんですね
かなり前にも書いたが、私の座右の銘は「誰かがやらないと誰もやらないことは誰かがやらないと誰もやらない」 である。見て見ぬふりをするのは簡単だ。でも、誰かがやらないと誰もやらないことを誰もやらなかったら誰もやらないのだ。こんな座右の銘、埋め立てゴミにでも出した方がきっと己のためなのだろうが、恐ろしいことになんと2年弱もの間、ずっと抱えて生きてきたらしい。
ただ一時期、この「誰かがやらないと誰もやらないことは誰かがやらないと誰もやらない」に苦しめられていた時期があった。「誰かがやらないと誰もやらないこと」は、「誰かがやらないと誰もやらない」のに、それをやったところで、感謝はおろか、理解すらされないことが往々にしてある。物好きですねェ、真面目ですねェ、って鼻で笑われることもある。それでも、誰かがやらないと誰もやらない。誰かが、誰かがやらないといけないのに。
今の私の気持ちを2年前の私が全て代弁してくれた。それで十分だ。
フリーター、学生愛を語る
突然だが、私は学生さんが好きだ。夢があって、未来があって、頑張りすぎないくらいに頑張り屋さんな学生さんが好きだ。だから学生バイトの子たちにうるさく言うのは心底好きじゃない。極力言葉を選んでお願いしたあとでも、毎回自己嫌悪に陥る。学生の間のアルバイトなんて、ほどほどにやって、ほどほどに稼いで、稼いだお金でめいっぱい遊んで、パッと辞めて、その後はここに勤めていたことなんて綺麗さっぱり忘れて生きていただくくらいがちょうどいいと思っている。彼らの人生の通過点の中の通過点でしかないこの場所で、アレコレ煩うような目にだけは絶対に遭ってほしくない。まあ、彼らは私よりずっと頭が良くて生き方も上手だから、私なんかがいちいち心配する必要はないのだけれど。そもそも私、ただのフリーターですから、見下される理由はあれど見上げられる理由はひとつもない。みんな若いのに落ち着いてて機転も利くし、まこと見習うべき人たちばかりだ。でも、くれぐれもほどほどに。
右腕が折れたと思って行った病院で転倒して左腕を折り「右腕は折れてないですね」と医者に言われて帰宅して左腕が折れたことを思い出して再び行った病院で転倒して右腕を折り「こうなる前にどうしてもっと早く来なかったんですか」と医者に怒られるような人生
「私ばかり損な役回りしてるのなんかやだなあ」と「みんなには損な役回りさせたくないなあ」が同じ口から出ていることにお気づきだろうか。これは、どちらかが詭弁ということになるのだろうか?答えは否であり、どちらも本心である。どちらも本心だからこそ、さらにいっそうくたびれているのだろう。役回りも損なら、元々の性質それ自体も損にできている。私の得は一体どこに落ちているのだ。私の得、私の得、私の得……