完璧になれない私の1日1ページについての覚書|手帳の白紙にも味があると聞いたので試しに噛んでみたけど紙の味しかしなかった
ゲームは1日1時間 手帳は1日1ページ
昨年の12月31日に滑り込みで買ったマイブック。1日1ページの贅沢仕様でありながらそのお値段なんと400円(税抜)という手帳界の価格デストロイヤー。その購入に至るまでの経緯をお話しようと思う。あれは12月31日の午前11時頃であった。元々私はマイブックではなく文庫手帳を買うつもりでTSUTAYAにやって来た。1日1ページの手帳が欲しかったからだ。どっこい!「在庫あり」にも関わらず検索機で示された棚を探せど探せど文庫手帳が見つからず手帳や日記や文具やおすすめ本コーナーも隅々まで調べてTSUTAYA中を彷徨いに彷徨った挙句店員さんに捜索依頼を出してまで持ってきてもらった文庫手帳が1日1ページの手帳ではないことを現物を手に取ったそのとき初めて知ったのだった。どうして予め調べておかなかったのか。どうして文庫手帳が1日1ページの手帳であるなどと思い込んでいたのか。以下愕然とする私の心境。「ヤバイヤバイ私は1日1ページの手帳が欲しくてそれでわざわざ夜勤明けに買いに来たのに文庫手帳が1日1ページの手帳じゃなかったとかヤバイどうしようそれなら文庫手帳やめてマイブックにしたいけどめちゃくちゃ時間かけて探してくれた店員さんに『やっぱり要りません』なんて言って突き返せるはずもないしかといって使わない手帳を買うのも嫌だしそれよか全然関係ない棚に放置して帰るなんてもっと嫌だしこれはもう自力で元あった場所を探すしかないヤバイヤバイヤバイヤバイもしこれが倉庫から出してくれた品物だったら詰む」と更にTSUTAYAをぐーるぐるすること15分、ようやく文庫手帳の陳列場所を見つけた私は、先程対応してくれた店員のお姉さんに心底謝りつつ、あたかも何かを盗んだ泥棒がその場で思い直して盗んだ品物を元の場所に戻すような仕草で手の中の文庫手帳を音もなく棚に返し、代わりにマイブックを1冊サッと手に取って、お姉さんがこちらに背を向けた隙にコソコソとセルフレジでマイブックを購入し、逃げるようにTSUTAYAを去ったのだった。
ちなみにここにあった
検索機くんがグレーのところにあるよって言うから何度も何度も必死に探したけど実際は矢印の先にあった しかし己にも信じがたいことに矢印の先の場所なら既に5回くらい探している
結局犬夜叉デザインのほぼ日手帳買わなかったの?
はい
なんで?
だってもしも挫折したら「数千円出して買った1日1ページの手帳を使いこなせず途中から白紙だらけになって挫折した」という事実のせいで更に挫折しそうだから
「完璧な手帳」とやらに一体なんの意味があるのかさっぱり分からないけどそれでも私は「完璧な手帳」を作りたいと毎年願って毎年挫折している
1日1ページの手帳を長年使っている人の中で、これまで一度も「挫折の恐怖」を感じたことがない人、いる?誰だって一度くらいはあるでしょう。「挫折の恐怖」。これは完全に偏見なんですけど、1日1ページの手帳を好んで使うような人って、完璧主義のケがある人が多いんじゃないかって。1日1ページの白紙を「完璧に」埋めきることに途轍もない快感を覚えるタイプ。その一方で、1日1ページの白紙を「完璧に」埋めきれないことに途方もないストレスを覚えるタイプ。そうではなくて?想像してほしい。例えば、高熱を出して仕事も休んで1日中寝込みっぱなし、ご飯さえロクに食べられない、ペンを握ることすらままならない、ましてや手帳の1日1ページの白紙を「完璧に」埋めきることなんてとても出来そうにない日。それでもあなたは、1日1ページの「完璧に」埋めきれない白紙のことが気がかりで気がかりで仕方がないのではなくて?1月1日から今日までの白紙を「完璧に」埋めきってきたことを思い出して、その努力が台無しになることを恐れて、今はペンも持てない自分に焦って、焦って、何に焦っているのか分からないのに焦って、もしも今日ここで白紙を「完璧に」埋めることを諦めてしまったなら、明日も、きっと明後日も、恐らくその次も、白紙はずっと白紙のまま、どんどん白紙は増えていって、それでも私はこれらの白紙を「完璧に」埋めなければならないのだから、この先私にはこの白紙たちを「完璧に」埋めるという義務が待っていることを考えて頭がクラクラして、熱が引いてから改めて手帳を開いてみたら、白紙が、幾重もの白紙が私の前に立ち塞がって、視界を埋め尽くす白に息が詰まりそうになって、過ぎ去った日に筆を加えるやましさに震え上がって、数日前のことを必死に思い出しながら最初の白紙を「完璧に」埋めようとして、ほらなにか、この数日もなにかあったでしょう、熱を出して寝込んでいた以外にもなにかあったはずでしょうって、でも所詮は高熱にうなされて寝込んでいただけの私にそれを埋められるだけの十分な思い出はなくて、どこまでも続く白紙の上に「熱が出た」と一言書いて、それ以上私に絞り出せる言葉は何もなくて、もう無限に広がる白紙の海を前に舟を出すことさえもできなくて、ペンを投げ捨てて、手帳のページを閉じて、「今年は、もういい」なんて呟いて、引き出しの奥に押し込んでしまうかもしれない。
死ぬほど眠いなら仕方ない ペンを片手に白紙を埋めつつ死ぬよりずっとマシ
まあ実際は、こんなおっかないことになる人なんてごく少数だろう。数枚の白紙のページをのんびり眺めて、「まあこんな日もあるさね」なんて言ってまた今日の日付から白紙を「完璧に」埋めきることに専念できるような人だって、大勢いるかもしれない。もしくは白紙に雑誌の切り抜きを貼ってごまかしたりとか、でっかい文字で1ページ1文字「ね」「つ」「で」「た」と書いてそれでヨシ!にするとか、1日1ページという高いハードルの下を悠々くぐり抜けていく人だって大勢いるかもしれない。私?私はどうだろう。私は……実を言うと私は既に今年のマイブックの白紙を「完璧に」埋めきることに失敗し、クソデカ文字で白紙いっぱいに「死ぬほど眠い」と書いて乗り切った日がある。今年はまだ17日しか経っていないのに。ヤケクソで「死ぬほど眠い」と書いているときはちょっぴり爽快だったが、こうやってページを見返してみると、ウーン、やっぱり少しイヤかもしれない。実はその前日も下1/3くらいが空白になっていて、それもまた少しイヤだった。早くも今年のマイブックをやめてしまおうかとさえ思った。「ほぼ日手帳買わなくてよかった~~~~!!!」と心のどこかで呑気に考えていた。終わってしまった日にいくら追記しようとも虚しいだけなので、それはもうスッパリ諦めることにした。クソデカ文字で白紙いっぱいに「死ぬほど眠い」と書いて終えてしまった日の自分のことは、今でもちょっとだけ疎ましい。「そういう日もあるよ」「それでもいいんだよ」「それもまた1日1ページの醍醐味だよ」と言って慰め、励ましてくれる自分はまだいない。