私が私で私を私から仕入れる覚書|調子がよくても悪くても私は所詮私でしかない
現実で調子がいいときはブログに書くことが思い浮かばない
リアル生命とブロガー生命を天秤にかけさすのやめろ
珈琲三杯の上にも二年半
ア~~~困った困った。最近現実で調子がよくて困った。現実で調子がいいもんだからそれほど世界が憎くないし、それほど世界が憎くないもんだからそれほど人間が憎くないし、それほど人間が憎くないもんだからブログの話題が完売御礼状態。当ブログのコンセプトは「人間~~~~!!!!」ですからね。今考えました。それになんてったってうちのブログ、私自ら私へ赴いて私から直接仕入れた選りすぐりの調子がわるい部分を濾して煮詰めて固めたものを皆さまにお出しすることで、2年半も営業やらせてもらってるんだから。うちには、出せる料理が、これしかないの。
閉店不可避
まるで米国産牛肉の仕入れができなくなった牛丼屋みたいな気分だ。もしくは当日分の食材を仕入れに行きつけの魚市場に行ったらバリケードが張ってあって市場そのものがもぬけの殻だったときの寿司屋みたいな気分だ。いや、どちらかといえば行きつけの魚市場がある日いきなり青果卸売市場に変わっていたときの寿司屋みたいな気分だ。いつものようにブログのネタを買い付けに私まで足を運んだら、そこにはもう「いつもの私」はなくて、「調子がいい私」という、 まったく違う人間 の市場が開かれている。それでびっくりして、近くの人をとっ捕まえて尋ねてみたら、「ああ『いつもの私』ね、昨日で閉鎖したそうですよ。なんせ、近頃ではもう全然獲れないんですって。それで、今日からは『調子がいい私』を開くことになったとかなんとか。でもこちらの方がずっといいと思いますよ。だって昨日までは新鮮さ以外になんの取り柄もないジメジメウジウジしたものしか置いてなかったじゃないですか。ところがこの新しい市場を見てごらんなさい、楽しかった出来事に嬉しかった出来事、面白い本、好きな音楽、美味しい食べ物、前向きな気持ちに未来への希望、なんて魅力的なものに溢れているんでしょう!」
食品ロスを減らそう!(半ギレ)
それで、その日は仕方なく「調子がいい私」で買い付けたものをいつものように調理してみようと試みるのだが、そう上手くいくもんでもない。キーボードを叩いている私自身あんまり面白くないし、実際内容もあんまり面白くない。あたかも小学生の夏休みの絵日記みたいに、今日は書くことが本当になにもないぞと頭を抱えながら、その日のまるで取るに足らない出来事、昼食の冷やし中華がおいしかったですとか、道端でミミズが干からびて死んでましたとか、そういった内容で強引に1本書いてなんとかその日を乗り切ったような料理、もとい文章ばかり出来上がる。それらを一度は皿にでん!と盛り付けては、ゴミ箱に流し込む。
えーと、まぞ…。
うちのブログは「楽しかったです!」「嬉しかったです!」に向いてないのかなあ。楽しかった出来事とか嬉しかった出来事って、それだけでもうコンテンツとして立派に成立してるじゃないですか。楽しかったこと嬉しかったことを心のままに書きつければ、それだけで大抵よい記事が出来上がってしまうじゃないですか。読む側としても、ありのままに綴られた出来事を読んで、「よかったね!」って気分になれるじゃないですか。一方で「楽しくなかったです!」「嬉しくなかったです!」は、そこから考えることこそが本分というか、そういう感じがするんですよね。もちろん愚痴っておしまいでもいいんですけど。更に言うと私の場合は、動機と行動が逆転してるんですよ。楽しくない出来事が起こったがために考えるんじゃなくて、考えたいがためにわざわざ楽しくない出来事を探しているというか。いや、探すまでもなく楽しくない出来事なんてそこらじゅうにゴロゴロしているんですけど。
つまりどういうことだってばよ
楽しくないは、愉しい