珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

命を懸けられない覚書|誰しも生きるのに命懸けだけどそうじゃなくてそうじゃなくてさ

ニュースを見ないと人と世間話さえ出来ないので虚しい ニュースを見ても人と世間話しか出来ないので虚しい

例の事件のニュースを読んでいた。基本、私は世の中の具体的なニュースについてアレコレ書くことはしないけれど、今回は珍しくキーボードを執った次第。ニュース記事には「埼玉県警は発生から約11時間後の28日朝、住宅に突入」とある。これすごく淡々と書いてあるけれど、要は、命を懸けて突入してるってことじゃないですか。イヤ、だからなんだよとか、そりゃそうよそれがお仕事なんだからとか言われたらそれまでなんですけど。私はこの手の事件が起こったときにどういう訓練を受けたどういう部隊の人たちがどのくらいの人数でどういう風にどのタイミングで突入するのかなんて何ひとつとして知らないのだけれど、ただ「ああ、この人たちは命を懸けたんだなあ」ってことだけは分かる。日常的に命を懸ける訓練を行いながら生きる暮らしって全然想像がつかないなあ。命を懸ける訓練って一体なにをするんだろう。ネットで検索すれば一発で分かることなんだろうけど、そうじゃなくて、肉体の鍛錬とか銃や盾の使い方とか交渉の技術とかそういうことじゃなくて、そういうことじゃなくて、ほらそういうことじゃなくてさ……

 

けどけれどが多すぎない?

うるさいけれど

 

責任者を出せ!

世界には、今この瞬間も、誇張ではなく正真正銘本当に命を懸けて働いている人がいるんだなあと思うと、なんだか無性にざわざわするな。私がこの記事を書いているこの瞬間も、あなたがこの記事を読んでいるこの瞬間も、世界のあちこちで命が懸かってるんだなあ。ウーン。どうしよう。どうしようって、私にどう出来るわけもないけれど、「どうしよう」と言うしかないっていうか、恐れ多くも軽佻浮薄な物言いが許されるなら、「マジで言ってんの」とか「世の中なんだこれ」とか、声を大にして言いたい。どうしよう。どうしようね?おーい神様、聞いとるか。そういうことなんだよ。どうにかしてくれよ。あなたが造った世界でしょ。ねえ神様、どうしよう。どうしよう。どうしてくれるんだよう。

 

無邪気とは悪意なき残酷さなのだ

もちろん私は正真正銘本当に命を懸けた経験なんて無いけれど、私だって、人生のうちで一度くらいは「命を懸けてやります」とか「死ぬ覚悟で頑張ります」とか言ったことがあるんじゃないかしら?ない……かしら?な、ない……ない……のかしら?ないのかしら?ないのかしら!まあまあまあ!小学生くらいの頃に、「それほんと?命かけれる?」「かけれるし!」みたいなやり取りをしたこと、ないのかしら!まあまあまあ!子供ってのは、時折こういう危なっかしい言葉でもって、大人からすれば取るに足らない瑣末な物事についての保証を要求する。「なになにのおもちゃがどこどこで売ってるの見たよ」「ほんと?」「ほんとだって」「命かける?」「命かける!」こんな具合に。今時の小学生のことは分からないが、私が子供の頃は、ごはんにふりかけをかけるくらいの気持ちで、みんな「命かける」と言い合っていた。一方私は小さい頃から頭の固い小心者だったので、「ここで命かけるって言ってもし間違ってたらどうしよう」などとクソ大真面目に心配し、友人らの「命かけれる?」というおっかない問いには、「あのね、だからぜったい本当、本当なんだってば」などというなあなあ極まる答えを返し、適当にはぐらかしていた。

 

バイト先の受付の内側には警備会社を呼ぶボタンがあるけど仮に私が危機を感じてそのボタンを押したとしてそうなると来てくれた警備会社のお兄さんたちも命を懸けることになるんだよな

私の雇用契約書には、命を懸けるような場合についての具体的な記載はない。そらそうよ。ただの接客業だし。ヤバイ客の対応をしていて「あ、これアカンやつや」って思ったことはあるけれど。明らかに正気ではない客が店内で暴れていたところに奇跡的なタイミングで近くの通りをパトロールしていた警察を引き止めて突き出してそのまま連れて行ってもらったことはある。あと一回だけ殴られそうになってバックステップで神回避したこともある。しかしこれらはイレギュラー中のイレギュラーであって、基本的に命を懸けることは契約のうちに含まれていない。

 

私マリオ 今あなたの残機の中にいるの

一方、私の人生契約書はどうか。命を懸けるような場合についての記載はあるか。私の人生において、私が私の命を懸けること、私にとって命を懸けてもやりたいこと、命を懸けてでもやるべき価値のあるなにかに打ち込むこと、それらは契約のうちに含まれているか。きっと含まれていないだろうなあ。次の更新のときに交渉してみよう。次の更新っていつだよ。ところで、現代の平凡な一般ピープルは、本人がどんなに自分の意志で 本物の命・・・・ を懸けたいと願ってもそう易々とは懸けられない。懸けることを許してもらえない。何故なら平凡な一般ピープルだからである。自分の意志で本物の命を懸ける機会を正式な権利として得られるのは、ほんのひと握りの優れた人間だけだ。ほんのひと握りの……優れた人間。優れた人間は、ほんのひと握り。自分の意志で……本物の命を懸けることのできる……ほんのひと握りの……優れた人間。ほんのひと握りの……優れた人間の……命が……今日……今この瞬間も……どこかで懸けられて……。ああ、ああ、彼らが私の平凡な命を予備代わりに使ってくれたらいいのになあ!

 

 

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