自分呪わば穴塞がる覚書|思う存分呪い合える相手が自分しかいないんだあ
ふにょふにょコンビニ店員の不如意話
「そうだ、最近暇だし今日は気合入れて揚げ物調理器のコゲ落としをしよう」。そんな気概に満ち溢れ、家に余っていたコゲ落とし用のスポンジを携えて始まった昨晩の労働は、出勤0分でいとも容易く打ち砕かれた。「いつもなら夕方の人が洗ってくれているはずの什器が洗われてない……?」そう、いつもなら。いつもなら夕方の人が洗ってくれているので私は洗う必要のない什器が未清掃のまま取り残されていたのである。これは決して夕方の人が悪いのではなく、単純に中の販売物が売れ残っていたからである。いつもなら。いつもなら夕方には売り切れて、それで夕方の人が洗ってくれて、私は何も手出しする必要のない什器が洗われずに残っていた。「ウウ、今日は折角気合入れてコゲ落とししようと思ったのにいつもより洗い物が1つ多い……」これは致命的である。しかしわざわざスポンジまで持参してきたのであるから、意地でもコゲ落としをしてやろう。改めて気合を入れ直し、什器1つ分のハンデを埋め合わせるべく猛スピードで洗い物を始める私。ここで異変に気づく。おかしい。ぜんぜん洗い物が進まない。「いつもならこの時間まばらにしか来ないはずの客がめちゃくちゃ多い……?」しかもみんな寄ってたかって荷物の発送を頼みに来る。ウウ。めっちゃ時間かかるぞコレ。それに宅飲み勢の大量買いもえげつない。レジのスペースが足りない。そしてトドメとばかりに更なる異変が私を襲う。「いつもなら2時か3時頃にしか来ないはずの頭痛が今日は23時から来ている……?」チーン。
流石自分、頼もしいやつだ(誰しも最終的に頼れるのは自分だけなので)
あまりのままならなさに段々イライラし始めた私を救ったのは、意外にも私自身の言葉であった。「ここ最近ずっと暇だったのになんでよりにもよって今日こんなことになるかなあ」と考え始めた私の脳裏に、私の言葉が過ぎる。
ここでクソ真面目に反論してみよう。結論を一言で述べると「いつでも起こりうることがたまたまその時に起こっただけ」、本当にただそれだけである。
いついかなる状況下でタオルを落としても、結局は「なんでだよ」に行き着く。だから我々がよく悔恨のお気持ちを表明する際に用いる表現「なぜよりにもよってこのタイミングで」は、実在しない。
コロッケころころ覚書|=͟͟͞͞('ω')=͟͟͞͞( ε: )=͟͟͞͞(.ω.)=͟͟͞͞( :3 )=͟͟͞͞('ω') - 珈琲三杯|思索のための思索
ああ、そう……そう。つい数日前にこんなことをブログに書いたんだったわ。自分でこんなことを言っておいたくせにイライラするのは妙なのだわ。「なぜよりにもよってこのタイミングで」は少なくとも私の中で実在しないんでした。そう……だから、遅かれ早かれいつか起こりうるはずの「いつもなら清掃が済んでいるはずの什器が手付かず」「普段より客が多い」「やたら荷物の発送依頼が多い」「出勤して間もないうちから頭痛が来る」が、たまたま今日、いっぺんに起こっただけなんだわ。たとえこれらが今日じゃなくて来週起こったとしても、あるいはこれらが毎週1つずつ起こったとしても、結局大変なことに変わりはないのだわ。だからぜんぜんイライラする必要はないし、だいいちコゲ落としなんてやろうと思えば来週でも再来週でもいつでも出来るのだわ。これは決して天にましますどこかの誰かが私の気概や計画や体調を台無しにしてやろうと意地悪をしているわけではなくて、いつ何時でも!起こりうる!状況!
コゲ落としできた?
ほんのちょっとだけ……(でも満足した)
どうだ!
まあそんなわけで、数日前の自分自身の言葉にちょっぴり救われたのであった。ただ頭がクソ痛いのはどうにもならんかったのでいつもよりだいぶ愛想が悪かったかもしれない。許してティトゥス・フラウィウス・クレメンス。あんなことを書いてまだ1週間も経ってないうちから自分の言葉を反故にするわけにもいかないからね。自分が言ったんだから。それも、ブログという大勢の人に見られる場所で堂々と発言したわけだから。自分自身さえ付き従えない主張を他人に向かって申し述べる奴があるかい。へへ。別に自分の発言に従うくらい訳もないってね。へへ。なんて、一丁前に、言ってみたりして……
これ救いというか呪いになってない?
そうかも……(でも満足した)
だって私は救い主じゃないし
自分自身の言葉が自分自身に対する呪いになっているという事実に満足した。自分自身が自分自身の言葉によって自分自身に呪いをかけ呪いをかけられた自分自身がその呪いを知覚出来るくらいには自分自身に夢中になっているという事実に満足した。とかなんとか言いつつも、数日前ならさておき1年くらい前にブログで書いたこととなると大体覚えてないし、現実で発した言葉となればそれ以上に覚えてない。だから現在の私は恐らく、1年くらい前の自分自身の言葉をアッサリ裏切って裏切ったことにさえも気づかずにのうのう暮らしている。かつての呪いは解かれた。今は新たな呪いの中にいる。