珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

暑い!!!!!!!!!覚書|まだ冬……もう春

※ちょっと前のまだ肌寒かった頃に書いた記事です

知恵熱(誤用)が出る前に頭本体が壊れると思う

なんだか近頃は、いや近頃に限ったことでもないのだが、本のページを少し繰るごとに頭がぽっぽぽっぽしていけない。紙に唐辛子でも練り込んであるのか、文字に生姜でも擦り込んであるのか、更にはそれが目から入ってきているのか、鼻から入ってきているのか、将又ページを繰っている指から入ってきているのかワカランが、とにもかくにも暑きに暑く、逆上せに逆上せ、目ン玉も回りに回る心地がして、10ページに1度くらいは本を閉じて息を吐き水を飲み首筋を冷やさねばやってられんような具合である。それ多分超至近距離に置いてあるアツアツの電気ストーブのせいですよって誰かの声が聴こえるけど、エエイやかましい、私は先人の智慧が愚身に滲みる余り熱を出しとるんじゃい。感極まる余り熱を出しとるんじゃい。

 

私も600Wで明るく暖かい人間になりたいな

電気ストーブ、私の太陽、我が家は今宵も元気に不夜城。触れ合わんばかりのキケンな距離、ボロボロのオフィスチェアをギシギシ言わして、今は背中、次は腹、次は右、次は左、全身くまなく一周してまた背中、という具合に、くるくるくるくる回りながら身体を温めていると、まるで気分は洗濯物。前身頃がおおよそ乾いたら次は後ろ見頃、次は襟、次は袖、次は裾、全身くまなく一周してまた前見頃、という具合に。そんなにくるくるくるくる回りながら本を読んでいたら、そりゃ回る目は回るし、回る頭は回らんというものである。回る頭?そんなものはない。

 

今気づいたけど外着の分厚いアウターの下に部屋着のクソダサセーター着たまんまだった

そら暑いわ

 

読書はスポーツ

ただ実際、本を読んでいると暑くなることはある。カロリーが燃える感覚がすることはある。勿論気のせいである。カロリーが燃える音が聞こえることもある。あぁ~カロリーが燃える音ォ~!!勿論幻聴である。燃えているのはカロリーではなくして、なんかこう、なんか……なんか別のものが。燃えている。確実に。私の肉体はもはや、その燃えている何かと燃えている何かを燃やしている炎に向かって酸素を送り込むだけの酸素供給装置と化している。燃えている何かを燃やすためだけに息を吸っている。今燃やさでいつ燃やす。お前はこれまで生きてきて己を燃やすほど何かに打ち込んだことはあるか?ないだろう?じゃあそれは今だ。

 

目の前の与えられたものに打ち込めたらどんなにいいだろう

燃えぬ燃えぬは熱意が足らぬ。己の中で燃やすものが先行するのではなくして、燃やすことが先行するのである。熱中するものがあって始めて炎が生じるのではなくして、炎が生じて始めて熱中するものが生まれるのである。どんなにつまらぬと思われる事柄も、燃やしてみれば意外と形になるものだ。逆に言えば、どんなに最初から立派に出来上がってるものといえど、己の内なる火力が足らぬばかりに、あっちをチョイと焦がしては鎮火、こっちをチョイと焦がしては鎮火、そればかりやっていては、はじめの立派も見る影なし。燃えているのではなく、焦げただけ。真の意味で燃えているものは、雨が降ろうが、消火器が降ろうが、消防車が降ろうが、防火水槽が降ろうが、世界を飲み込む大洪水が降ろうが、己の熱意続く限り燃えているのであるから、いつまでも美しい。

 

たまに火が付いたと思ったら

なあにいつもの リ騒ぎさ

 

 

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