珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

おすすめのすゝめについての覚書|すすめー^^

こんなブログタイトルのくせしてまだ始まってすらなかった

もしも私が「おすすめ」の力に頼って本格的にコーヒーを始めようとするならば、さしあたり「おすすめのコーヒー」「おすすめのコーヒー器具」「おすすめのコーヒー教本」辺りが必要になるんだなあ。あー、この場合の「おすすめ」ってのは、初心者に向いているとか、誰でも扱いやすいとか、そういう意味合いである。ところで、今の世の中じゃあネット検索すればありとあらゆるものの「おすすめ」に出会うことができる。本当に、いくらでも。それならば私は一体誰から「おすすめ」されるのがベストなんだろうか。コーヒーにしろ器具にしろ本にしろ、甲氏の「おすすめ」と乙氏の「おすすめ」は、大差こそなくともやはり細かいところでは違ってくるじゃないですか。つまり、「おすすめのおすすめ」が必要になるのでは?「おすすめのコーヒー」を「おすすめ」してくれる有識者の「おすすめ」も必要なのでは?甲氏に倣うのがいいのか、乙氏を真似るのがいいのか、はたまた丙氏を信じるのがいいのか?それで、「おすすめのコーヒー」を「おすすめ」してくれる有識者の「おすすめ」をしてくれる有識者の「おすすめ」もまた必要なのではないか?

 

学問はすゝめ

進めや進め。おすすめや進め。私がこうしてせっつかなくとも、おすすめは今この瞬間もどんどん進んでいる。おすすめはどんどん進む。誰に頼まれるでもなく、誰に命じられるでもなく、おすすめはどんどん進んでいく。この文章を打ち込んでいる時点での「おすすめ」のGoogle検索結果、約2,380,000,000件(0.56 秒)。この結果はきっと今日も明日もどんどん進んでいって、今年を終える頃には……えー……いちじゅうひゃくせんまんじゅうまん……まあとにかく、約2,40以下略件くらいにはなっているのではなかろうか。

 

赤茶色のランドセル持ってる子羨ましかったなあ

例えば「おすすめのランドセルの色」で検索をかけて、そこに出てきた全てのおすすめを統計していけば、最早おすすめされていないランドセルの色なんてないんじゃないかって。つまり、全部おすすめなんじゃないかって。たとえどんなに奇抜な色であっても、風水で縁起がいいとか、勉強運が上がる色だとか、奇抜なことで却って個性が出るとか、自分のものだと分かりやすいとか、芸能人の誰々の子どもがこの色のランドセルを使っているとか、とにかくあれやこれやと理由をつけて、おすすめされているに違いない。おすすめされていないランドセルの色が存在しないのなら、おすすめされているランドセルの色が存在しないのと同義である。出場者全員が等しく金賞を貰えるコンクールにどれほどの価値があるというのだろう。モンドセレクションじゃねえんだぞ。そういうのが価値を持つのは出場者が全員ごく幼い子どもである場合くらいだ。長じた子どもに子ども騙しは通じんからな。これは困ったなあ。おすすめのランドセルの色が存在しなかったら、一体何色を選んで買い与えればいいんだろう。ハー、困ったなあ。どうしよう。困ったなあ。

 

子どもが欲しいと言った色のランドセルを買ってあげればいいんじゃないですかね

それだ

 

コーヒー豆の産地と銘柄と特徴を必死に覚えようとしているがなかなか覚えられなくて早くも脳味噌の限界が見えてきた

ランドセルの色に「よい」「わるい」はないが、コーヒーやコーヒー器具やコーヒー教本にはどうしても「よい」「わるい」があるので、おすすめのランドセルの色に関する記事を参考にすることと、おすすめのコーヒーやコーヒー器具やコーヒー教本に関する記事を参考にすることはまったく性質を異にする。書いてから思いました。つまり、ランドセルの色とは違って、誰からもおすすめされないコーヒーやコーヒー器具やコーヒー教本がそこらじゅうにゴロゴロ転がっていても、特段怪しむようなことではないわけです。大おすすめ時代にあって誰からもおすすめされないモノって、ある意味凄いのかもしれないな。だってほら、最悪、ライターに金払ってこの商品をおすすめする記事書いてクレメンスって頼んだり、謝礼はするからレビューで★5つけてくれって頼めばいい(よくない)わけだからな。それすらされないってことは、それはつまり、あー、彼もまた特別な存在だからです。

 

モノは言い様でいいよぉってこと

誰からもおすすめされない特別な存在。どんどん進むおすすめの流れに抗うようにしてそこに立ち止まっている特別な存在。それもまた、特別な存在の特別な形ですね。

 

 

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