珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

勝ち目のない水中戦についての覚書|陸を離れて海女さんになるか俗世を離れて尼さんになるしかないですねコリャ

最近ふとしたときに昔の恥ずかしい記憶とかが次々蘇ってきて辛いんじゃが

気の長い走馬灯かな?

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

後ろ向きに前向き

己の過去に恥ずかしさや情けなさやクソダサさを感じるのは自分が成長している証拠だ、なんて言う人がいますが、せやろか。間違ってはいないだろうが、前向きの極みすぎてどうにも私の肌には合わない。考え方としてはもっと後ろ向きな方が私にはよく馴染むと思う。よし、後ろ向きなことを考えよう。現在の自分が、過去の自分を鏡として、そこに現在の自分を映して見るようなとき、人は確かに成長を感じるかもしれない。しかしながら人によっては、じっと覗き込んだそこにはただ過去の自分の像があるだけで、穴が開くほど見つめても、現在の自分の像が映らないこともある。自分の手元にはただの古びた鏡、濁りに濁った鈍色の壁面、過去の自分の像があるだけだ。そこに比較すべき現在の自分の像は映らない。現在の自分の像はいつもここにない。

 

生きて未だ恥、死してなお恥

己の過去は須らく恥ずかしきものであり、現在というものはいずれ必ず過去になるのだから、己に恥ずかしくない時分なんてありゃしないって考えると、なかなかに地獄ですね。生き恥というか、生ける恥というか、生ける恥の死んだものというか、生ける恥の死んだものが生きているというか、生ける恥の死んだものが生き生きしているというか、なんかそういうアレですよ。生きてるんだか死んでるんだか分かりゃしないけど、分かりゃしないってことは、どちらでも大して変わりがないってことですし、どちらでもいいってことです。

 

多分ドクターストップがかかってる

恥ずかしい記憶を頭の中でぐるぐるさせておくからいつまで経っても不毛な走馬灯が止まないのであって、せっかくブログなんぞやっておるのだからいっそ人様の前で白状してスッキリさせたらよいのではと思い、頭の中で恥ずかしい記憶を掘り返してみるが、どうにもうまくいかない。私がいつも唐突に思い出してグワーッとなる記憶は、一体なんだったか?ウーン。捕まえようとすると逃げられてしまう。決まって2日に1回くらいは思い出してグワーッとなる記憶があったはずなのじゃが、一体なんだったか?はて?

 

いつか絶対刺身にして食ってやるからな

出来れば一生思い出したくないような恥ずかしい記憶は、重しを付ければ付けるだけ浮上してくるので厄介だ。誰しも子供の頃に縦向きのビート板を無理矢理プールに沈めようとして顎に一撃喰らったことがあると思うのだが、あんな感じである。逆に、先程のように敢えて思い出そうとすると、自分の元からスルスル逃げていくのでこれまた難儀だ。かつて女児だった皆さんなら、プールの中に落としたヘアゴムを拾おうとしてうまくいかず延々ヘアゴムと追いかけっこした経験があると思うのだが、あんな具合である。恥ずかしい記憶はいつも水の中にいる。彼らは水生生物である。不意を突いて急に浮かんでみたり、気づかれぬうちにこっそり沈んでみたり、馬鹿みたいにスイスイ逃げ回ったかと思えば、おもちゃの網ひとつでアッサリ捕まったりする。彼らは我々の息が続かなくなる頃合をずっと待っている。彼らは我々が無事に酸素を使い果たして水の中で物言わぬ死体となり、記憶に重しを付けるとか気まぐれに追い掛け回すとかそんなことが何ひとつ出来なくなるその時まで、我々を煩わすのを止めないだろう。

 

自分史学の権威たちが有能すぎる

黒歴史黒歴史と人は言うが、出来事はどのくらい時間をかければ歴史になれるのだろう。脳内で今週の自分の活動を振り返ってみたら恥ずかしい記憶しか出て来なかったとか、ザラにあるからな。昨日の出来事が既に黒歴史と化すなんて、自分史学会のお偉いさん方はちょっと仕事が早すぎませんか?過去の自分総出演で現在の自分に恥掻かしてくるの、ほんと止めてくんないかな。報復先が無いのも厄介だしな。過去の自分に恥掻かされた腹いせに未来の自分に恥掻かしてやろうだなんて、そんな不毛なこともないもんな。黒歴史の量産を止める唯一の方法は自分史学会に殴り込んで拠点ごとぶっ潰してやることですが、あそこが潰れると私本体も多分潰れるので、どうしようもない。あーどうしようもない。

 

 

f:id:shirokuro_044:20220301141734p:plain