珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

人生のおかわりは案外簡単だった覚書|インド人を右に、カレーメシを左に

インドジンウソツカナイカドウカハサイゴノサイゴマデイキテミナイトワカラナイインドジンダケジャナクテミンナソウ

カレーメシがウマすぎる。これから一生カレーメシだけで生きていけるんじゃないかとさえ思う。思うだけ。何故なら一生カレーメシだけで生きたことがないから。あまり軽率に断定はできない。いつどこから「確かあなた以前ブログで一生カレーメシだけで生きていけるって言ってましたよね?」という攻撃が飛んでくるか分からないから慎重な姿勢をとるに越したことはない。カレーメシ生活を初めて早1週間後にはもう飽きてるかもしれないし、1ヶ月くらいでギブアップするかもしれないし、1年後には天に向かって許しを乞いながらワンワン泣いてるかもしれないし、ひょっとしたら――――死を迎えるその日までカレーメシだけで生きているかもしれない。明日のことさえも分からないのに一生のことなんて分かるわけもない。ハッキリ分かることは、今この瞬間、少なくとも今この瞬間は、「これから一生カレーメシだけで生きていけるんじゃないかとさえ思」っているというただの事実のみである。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

ここで雑学

「インドジン・ウソツカナイ」という名前の唐辛子がある

 

我坦々美味飯初回賞味時水分多想残念次回賞味時水分少美味美味美味日清食品謝謝茄子

坦々ウマーメシも食べたことがある。あれもウマイ。まさにウマーだ。ただ、あれはお湯を線より少なく注いで作らないと、シャバシャバのスープごはんみたいになってしまう。最初からスープごはんが食べたい人ならいいかもしれないが、なんかこう、「君パッケージと違わない?」みたいな感じになってちょっとがっかりする。煮詰めて水分飛ばした雑炊みたいなネチネチ食感を想像していたから、最初に食べた時はそのシャバシャバ具合にウーンコレジャナイと思ってしまった。なので2回目以降はお湯を少なくして作っている。するとウマイ。いや、ウマー。カレーメシみたいなねっとり濃厚なカップごはんを食べたいなら是非ともお湯少なめで作るべき。

 

ここで補足

インド人を右に」とは、かつて新声社という会社が発行していたゲーム雑誌ゲーメスト上における、人類の誤植史に残るレベルの大誤植である。

wikiwiki.jp

www.redbull.com

 

人生宣言を採択致します

話を戻そう。一生カレーメシだけで生きたことがないので一生カレーメシだけで生きていけると断言することはできない。人生まだ1回目なので。人生2回目の人間がこの地球上にどれほど存在するかは分からない。読者の中に人生2回目の方がいたら教えてください。私が考えるに、人生2回目の人間はまあそんなにいないだろうし、別の意味では大勢いると思う。前者、すなわちそんなにいないであろう方の人生2回目の人間というのは、いっぺん死んで、もっかい赤ん坊からやり直している人間のことである。やっぱり、そんなにはいませんよね?後者、すなわち大勢いるかもしれない方の人生2回目の人間というのは、いわゆる第二の人生を歩んでいる人間のことである。第二の人生といっても、老齢になってからのそれに限ったことではない。当人が「今日から第二の人生が始まる」と宣言したならば、子どもであろうと老人であろうと、その日がその人の第二の人生初日なのである。じゃあ私が今この瞬間「今日から第二の人生が始まる」と宣言したならば、一生カレーメシで生きていけるかどうかの判断を下すことができるのではないか?さっきまでが第一の人生だったんだから。そうしよう。えー、今日からわたくし白黒れむの第二の人生が始まります。白黒ははぐろって読みます。

 

第一の人生を踏まえた上で一生カレーメシで生きていけるかどうかについてですが

無理

 

 

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